性を択《えら》ぶのに、便利な立場にある花柳界の女たちを羨《うらや》ましく思ったわけだったが、彼によって紹介された山の手のカフエへ現われるようになってから、彼女の気分もいくらか晴々して来た。
 持越しの長篇が、松川の同窓であった、ある大新聞の経済記者などの手によって、文章を修正され、一二の出版|書肆《しょし》へまわされた果てに、庸三のところへ出入りしている、若い劇作家であり、出版屋であった一色《いっしき》によって本になったのも、ちょうどそのころであった。ある晩偶然に一色と葉子が彼の書斎で、初めて顔を合わした。一色はにわかに妻を失って途方にくれている庸三のところへ、葬儀の費用として、大枚の札束を懐《ふとこ》ろにして来て、「どうぞこれをおつかいなすって」と事もなげな調子で、そっと襖《ふすま》の蔭《かげ》で手渡しするようなふうの男だったので、たちどころに数十万円の資産を亡くしてしまったくらいなので、庸三がどうかと思いながら葉子の原稿の話をすると、言い出した彼が危ぶんでいるにもかかわらず、二つ返辞で即座に引き受けたものだった。
「拝見したうえ何とかしましょう。さっそく原稿をよこして下さい。」
 
前へ 次へ
全436ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング