紙を見ると、一時に心が騒ぎ立った。いくらかの恐怖はあったにしても、どんな場合にも彼女は相手の愛を信じて疑わなかった。
「何だか気味が悪いから電話してみますわ。」
 葉子はそう言って、不断電話を借りつけの裏の下宿屋へ行った。
 相手が出て来たところで、彼女は気軽に話しかけた。
「もしもし私よ、解《わか》って?」
「うむ、僕だよ。都合上ちょっと遠いところへ行く途中、ごく秘密に逢《あ》いたいと思って寄ったんだが、久しぶりでいろいろ話もあるし、貴女《あなた》のことも心配しているんだ。それでぜひ逢って渡したいものがあるから、ちょっとここまで来てもらいたいんだ。」
「そう、じゃすぐ行くわ。」
 葉子は庸三の傍《そば》へ返ってその通りを告げた。
「ひょっとしたら少し手間取るかも知れないのよ。だけど私を信じていてね。」
 葉子は湯島に宿を取っている松川を見ると、いきなり飛びついて来る彼に唇《くちびる》を出した。松川は洋服も脱がずにいたが、田端で別れたころから見ると、身綺麗《みぎれい》にしていた。彼は今顧問弁護士をしていた会社の金を三万円|拐帯《かいたい》して、留守中の家族と乾分《こぶん》の手当や、のっ
前へ 次へ
全436ページ中51ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング