市《おたるし》へ引き返して、身軽になってから出直して来るように言っていたが、庸三も仕方なく原稿はそれまで預かることにしたのであった。
その原稿が彼女たちの運命にとって、いかに重大な役目を持ったものであるかが、その秋破産した良人や子供たちとともに上京して、田端《たばた》に世帯《しょたい》をもつことになった葉子の話で、だんだん明瞭《めいりょう》になったわけだったが、そっちこっちの人の手を巡《めぐ》って、とにかくそれがある程度の訂正を経て、世のなかへ送り出されることになったのは、それからよほど後のことであった。ある時は庸三と、庸三がつれて行って紹介した流行作家のC氏と二人で、映画会社のスタジオを訪問したり、ある時はまた震災後の山の手で、芸術家のクラブのようになっていた、そのころの尖端的《せんたんてき》な唯一のカフエへ紹介されて、集まって来る文学者や画家のあいだに、客分格の女給見習いとして、夜ごと姿を現わしたりしていたものだったが、彼女はとっくに裸になってしまって、いつも妹の派手なお召の一張羅《いっちょうら》で押し通していた。ぐたぐたした派手なそのお召姿が、時々彼の書斎に現われた。彼女夫婦の
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