ただけでも、相当紛らされるはずであった。二十五年もの長いあいだ、同じ軌道を走りつづけていた結婚生活を、不自然にもさらに他の女性で継ぎ足して行くことの煩わしさは解っていたが、加世子の位牌《いはい》を取り片着けて間もなく、彼は檻《おり》の扉《とびら》を開けたような気もしたのであった。
「さっそく困るだろ。君だって多勢《おおぜい》の子供をかかえて、仕事をしなくちゃならない。――待ちたまえ、僕にも心当りがないことはない。」
 葬儀委員長であった同じ年輩の鷲尾《わしお》は言うのであった。庸三は彼が目ざしているらしいものよりか、少しは花やかな幻を、それとなく心に描いていたものだったが、それは単に描いてみたというにすぎなかった。彼は堅く結婚を否定していた。今からの結婚が経済的にも精神的にも、重い負担であるのはもちろんであった。子供だけで十分だった。
 窓帷《カアテン》をひいた硝子窓《ガラスまど》のところで、瀬戸の火鉢《ひばち》に当たって小説の話をしていると、電話がかかって来て、葉子は下へおりて行った。
「一色?」
 部屋へ入って来た時の葉子の顔で、庸三は感づいた。
「自動車を迎いによこすから、ちょっ
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