のマダムの小夜子と庸三とのあいだに、何か恋愛関係でもすでに生じているかのように考えたか、またそこまでではなくとも、二人のあいだに何かそういった事件が起こるであろうことを予測したか、いずれにしてもそれが由々しき大事件ででもあるように思って、さてこそ庸三を自分の家へ拉《らっ》し去ろうとしたのであったが、それは葉子の文学少女らしい思い過ごしにほかならないで、庸三と小夜子のあいだは、待合のマダムと客というにはやや親密すぎる程度の遊び友達という以上の何物でもなかった。もちろん庸三はそうした恋愛のトリックなどにも疎《うと》いので、小夜子との交遊を、葉子|牽制《けんせい》のカモフラジュに役立てるようなこともなかったが、別に秘密にしておくほどのことでもなかった。
 とにかく渋谷の家へ、彼は誘われた。通りを少し離れて樹立《こだち》の深い高みの場所にその家があった。そして葉子の言葉どおりちょっと住み心地《ごこち》のいい間取りで、玄関を上がって、椅子《いす》や卓子《テイブル》のほどよく配置されたサロンを廊下へ出て、奥の方へ行くと、そこに住居《すまい》の方と懸《か》け離れた十畳の座敷があり、木口がいいのと床の
前へ 次へ
全436ページ中346ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング