《あたま》が安まるくらいの程度であった。
撞球室《どうきゅうしつ》の入口のドアの上部の磨硝子《すりガラス》に明りがさして、球の音も微《かす》かに洩《も》れて来た。庸三はどこかそこいらにかの青年の幻がいるような気もしたが、葉子が逗子に行かない前から彼の予感にあったあの恋愛も、現実面へ持ち来たらせられてみると、ひとたまりもなく砕けてしまったのであった。庸三がその結婚の実を結ぶことを希《ねが》ったのは嘘ではなかったが、巧く行きそうもないことを望んだのも真実であった。
二人はやがて食堂にいた。
「君はマルクス勉強するつもりだったの。」
庸三は葡萄酒《ぶどうしゅ》のコップを手にしながら、揶揄《からか》い面《がお》で訊いてみた。
「私がお嬢さんすぎると言うんでしょう。あの人だって坊っちゃんよ。」
プロレタリヤ運動もまた目に立つほど興《おこ》っていない時分のことで、庸三はマルクスの学説のどんなものだかも知らなかったが、そういった時代の一つの雰囲気《ふんいき》には胸を衝《つ》かれた。かつて草葉《そうよう》が画《え》をかいてやると言って、葉子から白地の錦紗《きんしゃ》の反物を取り放しにしていると
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