は一月前に死んだ後を独り侘《わび》しく暮らしていた哀れな雄の方が、広い自然を目がけて飛び出して行ったもので、翅《はね》の自由が利くかどうかもわからなかった。葉子はあの短時日の単純で朗らかな恋愛の思い出を、今はこれまで経て来た数々の恋愛のなかでは、相手が相手だけにちょっと微笑《ほほえ》ましいものにも思い、苦難の多い庸三との生活の途中における楽しい一つの插話《そうわ》として、記念のカナリヤを眺めていたのだったが、逃げられてみると、はっとしてあわてたのであった。どこを捜しても、梢や草を渡る寂しい風の音ばかりで、どこかに立ち辣《すく》んでいるであろうとは思いながらも、思い切らないわけに行かなかった。
「死ぬより逃げられた方が増しだよ。」
庸三は呟《つぶや》いたが、葉子もこだわりはしなかった。
縁側へ上がって裾《すそ》についた草の実を払っているところへ、黒須が来たのであった。もうその時分は郷里からつれて来た女中もいなかった。彼女は新らしいハッピを着た、まだ四十にはならない職人風の父親が、わざわざ逗子まで来て連れ帰った。その時葉子は海岸の砂丘にいたが、今度の恋愛事件で、郷里の新聞がまたしても筆
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