》い入ってしまうのであった。庸三は不幸な長い自身の生涯を呪《のろ》いさえするのであった。
 するうち部屋が薄暗くなって来た。電燈のスウィッチを捻《ひね》ろうとおもって、ふと目を挙げると球《たま》が紅《あか》い手巾《ハンケチ》に包まれてあった。瞬間庸三は心臓がどきりとした。やがて卓のうえに立ってそれを釈《と》いた。いつのまにそんなことをしたのか、少しも知らなかった。庸三は卓をおりてさもしそうに手巾を鼻でかいでみた。昨夜葉子はこの恋愛を、何か感激的な大したロオマンスへの彼の飛躍のように言うのだったが、そう言われても仕方がなかった。庸三は次第に彼女の帰って来るのが待遠しくなって来た。帰って来るかどうかもはっきりしなかった。彼は帰って来ないことを祈ったが、やはり苦しかった。するとその時ボオイが次の間の入口に現われて、
「梢《こずえ》さんからお電話です。」
「そう。」
 庸三は頷《うなず》いて立ち上がった。
「先生ですの。何していらっしゃる。」
「君は。」
「私あれからお宅へ行って、子供さんたちと童謡なんか歌ってお相手していましたの。皆さんお元気よ。」
「今飯を食べようかと思っているんだけど、来
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