三は自分で追ん出た形で、何か恰好《かっこう》のつかない感じだった。潔くここを引き揚げたい気持もしながら、やっぱり思い切りが悪く、後ろ髪を引かれるのであった。一度かかった係蹄《わな》から脱けるのは、彼にとってはとても困難であった。彼は自身の子供じみた僻《ひが》みっぽい魂情《こんじょう》を、いくらか悔いてもいたが、とかく苦悩と煩いの多いこの生活を、一気に叩《たた》きつけるのも、彼女に新らしい恋愛もまだ初まっていない、こんな時だという気もしていた。しかしそういう時はまたそういう時で、とかく切り棄《す》てにくいのであった。嫉妬《しっと》は第三者が現われたときに限るのではなかった。葉子のような天性の嬌態《きょうたい》をもった女の周囲には、無数の無形の恋愛幻影が想像されもするが――それよりも彼女自身のうちに、恋愛の卵巣が無数に蔓《はびこ》っているのであった。
 不用意にも、ちょうど彼は財布が少し心細かった。葉子のところへ行けば何でもないことだったし、宿へ断わって出ればそれでもよいわけだったが、世間の非難と嘲笑《ちょうしょう》を一身に集めたような葉子との関係にも、肩身の狭い思いがしているので、少しば
前へ 次へ
全436ページ中264ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング