「私おもちします。」
北山はそう言って、彼の手から折鞄を取ろうとしたが、庸三はステッキを振り振り、暗い路《みち》を急ぎ足で歩いて行った。温かい雨がぽつりぽつり顔を打ちはじめた。そして日陰の茶屋まで来てみると彼もひどく息がはずんでいた。
二階の部屋に納まったころ、入口で葉子たちと女中との話し声がしていたが、下の風呂場《ふろば》へおりて行った時分には何の気配もしなかった。
滋《しげ》くなって来た雨の音を聴《き》きながら、心の穏やかでなかった庸三は、うとうと微睡《まどろ》んだと思うと目がさめたりして、そこに侘《わび》しい一夜を過ごした。
十七
翌朝床を離れた庸三は、僅かの時間しか熟睡できなかったので、まだ目が渋く頭がもやもやしていた。夜来の雨に潤った新緑の鮮やかな庭木が、きらきら光って、底ふかい空の青さにも翳《かざ》しがなかったが、心臓の弱い庸三はいつもこういう場合の癖で、ひどく濁りっぽい気持になっていた。
葉子の入院の前後、隣りの下宿の部屋にいたり、庸三の書斎へ来ていたりしたころには、喧嘩《けんか》をするたびに、葉子が部屋を飛び出して行くことになっていたが、今庸
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