ていたものであった。最近少し余裕が出来たので、音楽好きの子供にねだられて、やっとセロを一|梃《ちょう》買ってやった妻に、彼はあまり好い顔をしなかった。ラブレタアが投函《とうかん》されていたことを、何かのおりに感づいて、背広を着て銀座の喫茶店へなぞも入るらしい子供がいつの間にか父に叛逆的《はんぎゃくてき》な態度を示すのに神経を痛めている折なので彼はむき[#「むき」に傍点]になった。しかし加世子は怒りっぽい庸三を、子供に直面させることを怖《おそ》れて、いつも庸三を抑制した。今は父子のあいだの緩衝地帯も撤廃されたわけだった。日蔭もののように暮らして来た庸三の視界がにわかに開けていた。風呂《ふろ》へ入るとか、食膳《しょくぜん》に向かうとかいう場合に、どこにも妻の声も聞こえず、姿も見えないので、彼はふと片手が※[#「※」は「てへん+毟」、第4水準2−78−12、146−上−18]《も》げたような心細さを感ずるのだったが、一方また思いがけなく若い時分の自由を取り戻したような気持にもなれた。彼は再婚を堅く否定していたので、さっそく何か世話しようと気を揉《も》んでいる人の友情に、何の感じも起こらなかっ
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