か目的でもありそうでもあり、気紛《きまぐ》れの散歩のようでもあり、雪枝はその意味がわからず、中ごろから少し興醒《きょうざ》めの形であったが、町はずれまで来ると、小夜子は二階の自分の部屋に飾るような刺繍《ししゅう》の壁掛けを買い、庸三も妻が死んでからいろいろの物が無くなり、卓子《テイブル》掛けのジャバ更紗《さらさ》も見つからないので、機械刺繍の安物を一つ買って、それから波止場《はとば》の方へも行ってみた。帰りに博雅で手軽に食事をすまし、ふじ屋へも入ってみたが、駅前へ引き返して来た時には、もう六時になっていた。
 新橋へ着いてから、古くから知っている同郷の老婆のやっている家があるから、ぜひそこへ寄ってみようと雪枝がいうので、古風なその家へ入ることにしたが、酒好きな雪枝は贔屓《ひいき》にしている料亭から料理を取り、酔いがまわって来るにつれて、話がはずみ馴染《なじみ》の芸者をかけたりして、独りで朗らかになっていた。引き続き四面|楚歌《そか》の庸三は、若い愛人を失った年寄同志のうえに、何か悪いデマが飛びそうなので、いつも礼儀を正しく警戒したが、その晩も猪口《ちょく》を口にする気にもならず、間もなく三人でそこを引き揚げた。
「どう、これから銀座へ出て、耳飾りでも買って贈ったら。」
「それもそうね。」
 小夜子もそれにすることにした。
 すると翌日の新聞に、果して雪枝と庸三のゴシップが載っていて、さっそく正規の取消を申し込んでやると、こんどは二人の写真まで載せて、意地わるく皮肉られてしまった。庸三は胸が悪くなり、腐ってしまった。

      二十七

 二月になって、葉子からまた電話がかかった。
 庸三の朧《おぼ》ろげな推量では、雪枝と清川との関係は多分絶えたようで絶えず、それに悩んで遠い処《ところ》へ引っ越すことに葉子の主張が通って、田端へ移ったからには、新生活もどんなにか幸福であろう。相手が相手だから、こんどこそ巧く行くに違いない――彼は一応そう信じたが、信じたくもなかった。浮気の虫も巣喰《すく》っていたが、それも彼女の涯《はて》しない寂しさを充《み》たすに足りなかった。
 電話へ出てみるとやはり葉子の声であった。
「私今三丁目にいますのよ。お会いして話しますからすぐ来て。」
 ふらりと三丁目へ出て、そっちこっち見廻していると、葉子がひょっこり目の前に現われた。メイ・ハルミの手を経て横浜から買った、ヤンキイ好みの紺に淡《うす》めな荒い縞《しま》のある例の外套《がいとう》に包《くる》まっていたが、髪もそそけ顔もめっきり窶《やつ》れていた。
 じきにタキシイに飛びのって、行きつけの家《うち》へ走らせたが、部屋へ納まっても、何か仮り着をしているようで、庸三は気が負《ひ》けた。
 時分時だったので、庸三は葉子の註文《ちゅうもん》もきいて料理を通した。
「少し痩《や》せたね。」
「ぞうよ、毎日働くんですもの。ほら手がこんな。節々が太って。」
 と言っても葉子はやっぱり美しかった。
「あの人が水を汲《く》んでくれたり、食器を洗ったりしてくれるけれど。」
「女中なし?」
「ええ。あの人このごろますますあれだもんだから、手の美しいのなんか真平《まっぴら》だというのよ。労働者のように硬《かた》くならなくちゃ駄目なんだって。」
「なるほど。君には少し無理だね。しかし生活はいいんだろ。」
「ところがあまりよくもないのよ。」
 彼女の話では、清川の父は老大家に甘やかされて贅沢《ぜいたく》に馴《な》れている、そんな女を引き受けるのに不賛成で、父よりも好い身分に産まれつき、教養の高い母のみが理解してくれて、月々一定の額を先輩の山上の手を通して仕送ってくれ、それに彼自身いくらかの収入もあるにはあるが、家賃も出るので、そう楽でないと言うのであった。
「けどその程度でやって行かなくちゃあ。十分じゃないか。」
「でも私は寂しいの。何しろ田舎《いなか》のことで、それは大して贅沢ではないにしても、食べたいものはお腹一杯食べて来たんですもの。」
 話がだんだん賤《さ》みしくなって来た。顔に似合わず、彼女もやはり女であった。清川の親たちや弟妹たち、家庭の経済状態や雰囲気《ふんいき》にも繊細な神経が働いて、とかく葉子の苦手の現実面が、二人の恋愛を裏づけていた。
 庸三は自分も今度のこの恋愛の初めには、同じように、むしろそれ以上にも唇《くちびる》の薄い彼女の口の端《は》にかかったであろうし、庸三にしたように、清川の前にも庸三ヘの不満を泣いて哀訴したであろうことも考えないわけにいかなかった。
「どこもそんなものだ。世の中に君の註文通りのものがありようもないから、そこにじっと腰をすえているんだね。」
 庸三は悒鬱《じじむさ》い自分の恋愛とは違って、彼らの恋愛をすばらしく絢爛《けんらん》
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