と附き合ってくれと言うんですのよ。先生さえ気持わるくなかったら、話をつけに行こうと思いますけど……。」
「そうね、僕はかまわないけど。」
「私悪い女?」
庸三は笑っていた。
「行ってもいい? 断わった方がいいかしら。」
「とにかく綺麗にしなけりゃ。」
「きっとそうするわ。ではお待ちになってね。九時にはきっと帰りますから、お寝《やす》みになっていてね。きっとよ。げんまん!」
葉子はそう言って指切りをして出て行った。
庸三は壁ぎわに女中の延べさしてくれた寝床へ潜りこんだが、間もなく葉子附きの、同じ秋田生まれの少女が御免なさいと言って襖《ふすま》を開けた。庸三は少しうとうとしかけたところだったが、目をあげて見ると、彼女は青いペイパアにくるんで紐《ひも》で結わえた函《はこ》を枕元《まくらもと》へ持ち込んで来て、
「梢さんが今これを先生に差し上げて下さいとおっしゃったそうで。」
庸三が包装の隙間《すきま》から覗《のぞ》いてみると、萎《しな》びた菜の花の葉先きが喰《は》みだしていて、それが走りの苺《いちご》だとわかった。――枕元においたまま、彼はまたうとうとした。いつかも彼女は田舎《いなか》へ帰る少し前に、自動車で乗りつけて、美事な西洋花の植込みを持ち込んで来たものだったが、それがだんだんすがれて行く時分に、彼は珍らしく田舎の彼女に手紙をかいた。
「でも先生、あれは確かに先生のラブ・レタよ。」後に葉子に言われたものだったが、そんなこともあったにはあった。
葉子が一色と逢《あ》っている場所は、行きがけの口吻《くちぶり》でほぼ見当がついていたが、今夜帰るかどうかは解《わか》らなかった。庸三は苺にあやされて、子供が母を待つように大人《おとな》しく寝ていたが、不用意な葉子の雑誌や書物や原稿の散らかったあたりに、ある時ふと一色の手紙を発見したことがあって、いつでも忙《せわ》しなく葉子から呼出しをかけていることが解っているので、夫婦気取りの二人のなかは大抵想像できるのであった。
しかし葉子は約束の時間どおり帰って来た。
「すみません。あれからずっとお寝《よ》っていらして。」
「少しうとうとしたようだが……よく帰って来れたね。」
庸三は白粉剥《おしろいは》げのした彼女の顔を見ながら、
「それでどうしたの。」
「その話を持ち出したのよ。すると一色さん何のかのと感情が荒びて来て仕方がないものですから、私早く切り揚げようと思って、つい……。」
「君|風呂《ふろ》があったら入ってくれない?」
「ええ、入って来るわ。」
葉子は追い立てられるように下へおりて行った。
四
ある時庸三が庭へ降りて、そろそろ青みがかって来た叡山苔《えいざんごけ》を殖《ふ》やすために、シャベルをもって砂を配合した土に、それを植えつけていると、葉子は黝《くろ》ずんだ碧《あお》と紫の鱗型《うろこがた》の銘仙《めいせん》の不断着にいつもの横縞《よこじま》の羽織を着て、大きな樹《き》一杯に咲きみちた白|木蓮《もくれん》の花影で二三日にわかに明るくなった縁側にいた。葉子が松川と一緒に子供をつれて、嵩高《かさだか》な原稿を持ち込んで来たのが、ちょうどこの木蓮の花盛りだったので、彼女はその季節が来ると、それを懐かしく思い出すものらしかったが、ちょうどその時、葉子に来客があって、それが郷里の代議士秋本であるというので、庸三はシャベルを棄《す》てて、縁側へ上がって来た。郷里の素封家である秋本は、トルストイやガンジーの崇拝者で、何か文学に関する著述もあったが、もともと歌人で、数ある葉子の歌をいつでも出版できるように整理してくれたのも彼であった。葉子はちょっと擽《くすぐ》ったい顔をして「ちょっと逢って下さる?」と云《い》うので、手を洗って上がろうとすると、秋本がもう部屋へ入って来た。秋本は貴族的な立派な風貌《ふうぼう》の持主で、葉子の郷里の人が大抵そうであるように、骨格に均齊《きんせい》があり手足が若い杉《すぎ》のようにすらりとしていた。紫檀《したん》の卓のまわりに二人は向き合って坐ったが、互いに探り合うような目をして、簡単な言葉を交したきりであった。庸三は葉子の旅宿で、○や丶のついたその歌集の草稿を見せられたこともあったし、土を讃美した彼の著述をも読んだのであったが、葉子が結婚の約束をしたのが、この男であるような、ないような感じで、しかし何か優越感に似たものをもって彼と対峙《たいじ》していたのであったが、しばらくすると秋本は葉子にそこまで送られて帰って行った。ずっと後になって、秋本はそのうち郷里の財産を整理すると、子供の分だけを適度に残して、そっくりそれを東京へ持って来て、郊外に土地を買い、農園の経営を仕事とすると同時にそこに葉子と楽しい愛の巣を営もうというので、そうなると
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