だ。」
「葉子さんに気の毒ですよ。それに毒の花なんて出ているけれど、これはボオドレイルのあれだけれど、意味が全然違いますよ。」
そのころ庸太郎はその詩人の悪魔主義にも影響されていた。行動にもそれが窺《うかが》われた。
しかし庸三は綺麗事《きれいごと》で済まされないことも感じていたので、目を瞑《つぶ》るよりほかなかった。
小夜子は興味がなさそうに、やがて仏壇を離れて来ても、その問題には触れようともしなかった。ずっと後に気のついたことだが、小夜子はそのころすでに彼の子供の友達であった。
二三日してから、ある晩もまた庸三は小夜子の家《うち》で遊んでいた。
彼はそこで落ち会ったジャアナリストの一人と、川風に吹かれながらバルコニイへ出て、両国から清洲橋《きよすばし》あたりの夜景を眺めていたが、にわかに廊下へ呼びこまれた。
「先生お電話ですよ、葉子さんですよ。」
このごろここへ来て手伝っている、小夜子の姪《めい》が低声《こごえ》で言うのであった。
「居ると言った?」
「え、坊っちゃんが……。」
庸太郎が帳場にいたのだった。
「そいつあ困ったな。」
当惑しながら庸三は降りて行った。受話機がはずしてあった。
「いないといってくれればいいのに。」
庸三は庸太郎に言った。
「だって……。」
庸太郎のそういう態度は、彼の気弱さだとも思えたが、強さだとも思えた。しかしそれはずっと後のことで、その時の彼の心理は鈍い庸三に解《わか》るはずもなかった。
受話機を取ってみると、電話は少し遠かったが、熱っぽい葉子の声はだんだんはっきりして来た。かんかんに怒ってでもいて、怨《うら》みを言うかと思っていると、反対に哀願的な態度に出た。庸三はもう遅いとか、明朝にしようとか二三押問答もして、もし新聞記事のことだったら、あれは自分も少し当惑しているところだと、弁解しようとしたが、葉子は興奮をおさえた泣くような声で、
「いいえ、そのことではなしに、どうしても今夜中にお逢《あ》いしなければならないことがあるんですの。今すぐ来て下さるわね。きっとよ。この間の処《ところ》よ。お待ちしてますわ。」
受話機を卸して、庸三は溜息《ためいき》を吐《つ》いたが、自身にも収拾のつかない感じだった。
「どうしたんです。」
「来てくれと言うんだ。」
「行ったらいいでしょう。」
庸太郎が促すように言った。
「じゃ車言ってもらおう。」
小夜子が浪速《なにわ》タキシイへ電話をかけた。
安栄旅館の路次口で車を降りてみると、今さら夜の更《ふ》けているのに気がついた。彼は近頃時間の観念を亡くしていたので、特に夜が短かった。
葉子が路次口から現われて来て、ふらふらと幻のように彼に近づいて来た。
「私今メイフラワにいるんですのよ。」
「どうして?」
「旅館ではちょっと都合が悪いのよ。先生だって危険よ。」
「どうしてだろう。」
「黒須さんが私たちを誤解しているのよ。先生も共謀《ぐる》でやってる仕事だというふうに。」
「ヘえ。」
「でも、ちょっと上がって。マダムいい人よ。」
庸三は誘われるままに、その美容院の中へ入って行った。こちらにいる時分、時折葉子が来ていた家で、犬好きなマダムと懇意にしていた。レストオランのマネイジャをしている主人が、時々横浜からやって来るということも、庸三は彼女から聴《き》かされていた。いつか生後三月ばかりのフォックステリアを、動物好きな咲子のために貰《もら》って来たこともあった。
マダムは住居《すまい》の方で、もう寝ていたが、弟子たちがお茶をもって来てくれたりした。
葉子は神経が亢《たか》ぶっていて、落着きがなかった。
「どこかへ行きましょうよ。私さっきちょっとお宅へも行ってみたのよ。すると一時間ほど前に権藤さんが旅館へやって来て、先生んとこの庄治さんが今お酒に酔って、貴女《あなた》をやっつけると言ってるというのよ。とにかく出ましょう。こちらも迷惑よ。」
二人はまた外へ出た。通りでは店屋《みせや》はどこも締まっていた。横町のカフエや酒場からの電燈の光が洩《も》れているきりだった。スピイドをかけた自動車が、流星のように駒込《こまごめ》の方へと通りすぎた。そのうちに空車が一台やっと駒込の方からやって来たので、急いでそれに乗った。
乗り入れたのは、西北の方角に当たる町なかの花柳地だったが、時間過ぎなのでどこも森《しん》としていた。葉子は広い通りに露出《むきだ》しになっている、一軒の家の前で車をおりて、勝手口の方へまわって、「おばさん、おばさん」と言って、木戸を叩《たた》いていたが、しばらくしてから内から返辞があった。
「私来たことあるのよ。解《わか》るでしょう。でも蔑視《さげす》まないでね。」
そう言われて、庸三はたちまちあの青年|一色《いっしき
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