飯を食べに行ったこともあった。マダムは落着きのいい手広い洋館に住んでいて、洋酒の用意などもあった。幾年前かに結婚生活を清算して、仏蘭西《フランス》で洋裁の技術などを仕込んで来た。
がっちりした、燻《いぶ》しのかかった家具の据《す》えつけられた客室で、メロンや紅茶の御馳走《ごちそう》になりながら、しばらく遊んでから、夕方になって三人で銀座へ出てみたが、生活内容を探り合うこともできないほど、何か互いに折合いのつかない気分であった。
翌日、庸三は庸太郎と権藤青年とを相手に、逗子の噂《うわさ》をしていた。
「さあどうしたかね。」
「行ってみましょうか。」
権藤青年は言い出した。
「さっそく金に困ってるんじゃないかと思うがね。相手はブルジョウアの一人|子息《むすこ》だけれど、何しろ学生のことだからね。」
「どんな様子か、僕行ってみましょうか。」
「そうね、もし金が入用なら、少しぐらいやってもいいんだが……。」
庸三は今少し迹《あと》をつけてみたいような気もした。
逗子へ行った権藤が帰って来たのは、その夜の八時ごろであった。庸三はちょうど寝転《ねころ》んでストリンドベルグの戯曲を読み耽《ふけ》っていた。
「葉子さん、椅子《いす》と茶呑《ちゃの》み台とを庭へ持ち出して、ベレイなんか冠《かぶ》って、原稿書いてましたよ。僕が行くと、警戒したようでしたが、お金は欲しいらしいんです。明日あたりちょっと東京へ出る用事もあるから、その時先生にもお逢《あ》いしたいというんです。」
権藤はその場所と時間を決めて来たことをも報告した。
その日になって、庸三は少しばかり金を用意して、行きつけの上野の鳥料理へ行ってみた。そこには広い宴会席が二階にあって、下は漫々とした水のまわりに、様式に変化をもった小窓が幾箇《いくつ》もあった。山がかりの巌から、滝が轟《とどろ》き流れおち、孟宗竹《もうそうちく》の植込みのあいだから、夏は燈籠《とうろう》の灯《ひ》が水の飛沫《しぶき》をあびて、涼しい風にゆらぐ寒竹や萩《はぎ》のなかに沈んでいた。
庸三はその時、宴会場とちょうど反対の側にある、一室離れた二階の小間で持出し窓に腰かけながら、目の下に青黄色い孟宗の枝葉を眺めながら、葉子の来るのを待っていた。
やがて葉子がやって来たが、園田を銀座のモナミかどこかで待たせてあるというふうであった。ここは見えもないので、庸三はほんの少しばかり食べものを通したきりであった。葉子はそわそわ落ち着かなかった。
「権藤さんいやな人! 何か私たちの生活を内偵《ないてい》しにでも来たように、それは横柄な態度なのよ。」
庸三は狡《ずる》そうにただ笑っていた。
「私たちのことは、当分新聞社へ何もお話しにならないようにね。」
「それは僕もそのつもりで……。」
「あの兄さんと言っても、従兄《いとこ》ですけれど――黒須《くろす》という人がいるのよ。もと外務省畑の人で、今は政党関係の人らしいわ。乾分《こぶん》も多勢《おおぜい》あるらしいの。でも立派な紳士よ。その人が園田家のことは、何でも相談に乗っているという関係から、今度のこともその人が引き受けてくれているの。いずれ時機を見てお父さんにも承諾させるが、差し当たり牛込《うしごめ》にある家が売れると、そのうちの一万か二万かの金をそっと融通するから、当分それで家庭をもつようにしようと、そう言ってくれるのよ。その人、奥さんと鵠沼《くげぬま》にいますけれど、ちょっといい暮しよ。奥さんも教養のある人よ。」
庸三の耳には、あまり愉快にも響かなかったが、葉子がそうした落着き場所を得たことは、悪い気持ではなかった。
「素敵だな。」
「でも今は困るの。あの人財布を投げ出して行ってくれはしますけれど、それに手を着けたかないの。何かがつがつしているようで、さもしい感じでしょう。あの人たちお金に苦労したことのない人だけに、なおさらなの。」
それから株や何かで暮らしている両親たちの生活の外廓《がいかく》を、彼女なりの観察の仕方で話しながら、煮立っている鳥には、ろくろく箸《はし》もつけなかった。そして金を受け取ると、無造作にハンドバッグのなかへ押しこんで、
「今度またゆっくりお話ししますわ。今日はこれで失礼さしていただいてもいいでしょう。」
庸三は頷《うなず》いた。
起《た》ちかける葉子は彼の体に寄って来た。別れのキスでもしようとするように。庸三はあわてて両手でそれを遮《さえ》ぎりながら身をひいた。
十九
庸三がもしも物を書く人間でなかったら――言い換えれば常住人間を探究し、世の中の出来事に興味以上の関心を持つことが常習になっていない、普通そこいらの常道的な生活を大事にしている人間だったら、葉子に若い相手ができた後までも、こうも執拗《しつよう》に彼
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