な感じもするのだった。
羊羹《ようかん》でお茶の御馳走《ごちそう》になってから、そこを出た。
「私なぞとてもお話相手にはなれませんけれど、これからちょいちょいどうぞお遊びに……。」
おけいさんはそう言って、通りへの出口まで送ってくれた。
「何かあるんだぜ。」
「そうね。今のところそれは無いでしょうよ。このごろ何だか少し変だけれど。エロ話なんか随分するのよ。」
静岡で大きな茶の問屋をしている小夜子の姉の家と親しいおけいさんの実家との関係から、二人は東京でも互いに親しくしているのであった。
「ハインツェルマンのお玉さんのところへ、ちょっと寄ってみません?」
通りへ出てから、小夜子が言った。
「ハインツェルマンって……。」
「先生はまだ御存じなかったんでしたっけ。ハインツェルマンという独逸人《ドイツじん》と同棲《どうせい》している尼さんよ。」
「その独逸人は?」
「若い技師よ。」
小夜子が七年間同棲していた独逸のフォン・クルベーとの関係から、小夜子はいろいろな独逸人を知っているものとみえ、いつかも銀座を歩いていると、尾張町《おわりちょう》の角のところで、五十年輩の、あまり上品でない独逸人に出逢《であ》って、小夜子がはずそうとするのを、何かと揶揄《からか》い面《がお》でどこまでも附いて来たこともあった。
「あれは何さ。」
と聞いても、小夜子は「ううんいやな奴《やつ》よ」と笑っているきりだった。
ハインツェルマンは、ちょっとした門構えの家に住んでいた。小綺麗にしている、丸髷《まるまげ》の母親が玄関にすわってお辞儀したが、お玉さんも小夜子の声を聞きつけて奥から出て来た。彼女は質素な洋服を着ていたが、まん丸な色沢《つや》のあまりよくない顔が、寂しいなりににこにこしていた。髪は無論ボッブされていた。そしてどの部屋も、翻訳劇の舞台装置のようなものだったが、二階の八畳敷には、安ものの青い絨毯《じゅうたん》が敷かれて、簡素な卓子《テイブル》と椅子《いす》が並んでおり、がっちりした大きな化粧台の上に、幾つかの洋酒の壜《びん》も並んでいた。
見たところお玉さんは、単純と従順そのもののような女だったが、内心|負《ひ》け目を感じているらしく朗らかだとは言えなかった。
「カクテルでも召《め》し食《あが》りません?」
彼女は大事そうにしてある幾種かの酒の壜を覗《のぞ》きながら、卓子でお茶を呑《の》んでいる二人を振り返った。
庸三は手をふって見せた。
小夜子とお玉さんの間に、仲間の独逸人の消息とか男女の関係とか、世間の噂話《うわさばなし》が交されていたが、するうち三人で銀座へ出ることになった。
銀座でお玉さんは、行きつけの化粧品屋へ入って、ルウジュやクリイムなんかを取り出させて、あれこれと詮議《せんぎ》していたが、結局何も買わずに出てしまうと、今度は帽子屋の店へもちょっと入ってみた。何といってもつつましやかな暮しぶりらしく、物質を少しも無駄にしないというふうであった。長く銀座をぶらつくということもなく、主人の帰る時刻になると、じきに電車で帰って行った。
そんな女たちを見ていると、庸三はいつもかえって葉子を想《おも》い出すだけだったが、ある日も書斎で独りぽつねんとしていると、小夜子がまた一人の別の女をつれて来た。いかにも押し出しのいい芳子《よしこ》というその女は、小夜子よりも少し若く、中高の美人型の顔で、黒い紋つきの羽織を着て、髪を水々した丸髷《まるまげ》にしていた。
「こちら先生のご近所よ。それにお国も同じだわね。」
小夜子はそう言って紹介した。
「はは。」
庸三は笑っていたが、後にはだんだんそのロマンチックな身のうえや、竹を割ったようにさっぱりした気性も呑みこめて来た。新橋にいたころの同じ家《うち》の抱えだということ、ある有名な経済学の教授の屋敷の小間使をしているうちに、若さんと恋愛に陥り、その青年が地方の高等学校へ行くことになってから、そこを出て新橋で芸者になったこと、青年がやっとのこと捜しあてて来て、さらに新らしい魅力に惹《ひ》かされ、学校を出て結婚してからも、ひそやかな蔭《かげ》の愛人として、関係の続いていることなど、古い通俗小説めいた過去も解《わか》るようになった。それに瀟洒《しょうしゃ》な洗い髪の束髪などで、セッタ種の犬を片手に抱きながら、浴衣《ゆかた》がけで通りを歩いているのにも、時々出逢ったりして、この界隈《かいわい》では相当評判の美形だことも知るようになったし、花や麻雀《マージャン》が道楽で、そうした遊びにかけては優《すぐ》れた頭脳の持主であると同時に、やり口がいつも鮮やかすぎて、綺麗《きれい》な負け方ばかりしているのにも感心させられた。小夜子とちがってどの道彼女は生活者ではなかった。
「一戦どう。」
小夜子は悪
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