かのなかに紛れこんで、都会へ持って来られたように、自然の生息《いぶき》そのままの姿態でそれがひとしお都会では幽婉《ゆうえん》に見えるのだったが、それだけまた葉子は都会離れしているのだった。
山路と二人でそうしている時に、表の方でにわかに自動車の爆音がひびいたと思うと、ややあって誰か上がって来る気勢《けはい》がして妹の声が廊下から彼女を呼んだ。――葉子はそっと部屋を出た。妹は真蒼《まっさお》になっていた。一色が来て、凄《すさ》まじい剣幕で、葉子のことを怒っているというのだった。
葉子は困惑した。
「そうお。じゃあ私が行って話をつける。」
「うっかり行けないわ。姉さんが殺されるかも知れないことよ。」
そんな破滅になっても、葉子は一色と別れきりになろうと思っていなかった。たとい山路の家庭へ入るにしても、一色のようなパトロン格の愛人を、見失ってはいけないのであった。
葉子が妹と一緒に宿へ帰って来るのを見ると、部屋の入口で一色がいきなり飛びついて来た。――しばらく二人は離れなかった。やがて二人は差向いになった。一色は色がかわっていた。女から女へと移って行く山路の過去と現在を非難して、涙を流して熱心に彼女を阻止しようとした。葉子も黙ってはいなかった。優しい言葉で宥《なだ》め慰めると同時に、妻のある一色への不満を訴えた。しゃべりだすと油紙に火がついたように、べらべらと止め度もなく田舎訛《いなかなまり》の能弁が薄い唇《くちびる》を衝《つ》いて迸《ほとば》しるのだった。終《しま》いに彼女は哀願した。
「ねえ、わかってくれるでしょう。私|貴方《あなた》を愛しているのよ。私いつでも貴方のものなのよ。でも田舎の人の口というものは、それは煩《うるさ》いものなのよ。私のことはいいにつけ悪いにつけすぐ問題になるのよ。母や兄をよくするためにも、山路さんと結婚しておく必要があるのよ。ほんとに私を愛してくれているのなら、そのくらいのこと許してよ。」
一色は顔負けしてしまった。
ちょうどそのころ、久しぶりで庸三の書斎へ彼女が現れた。彼女は小ざっぱりした銘仙《めいせん》の袷《あわせ》を着て、髪も無造作な引詰めの洋髪であった。
「先生、私、山路と結婚しようと思いますのよ。いけません?」
葉子はいつにない引き締まった表情で、彼の顔色を窺《うかが》った。
「山路君とね。」
庸三は少し難色を浮かべた。淡い嫉妬《しっと》に似た感情の現われだったことは否めなかった。
「あまり感心しない相手だけれど……。」
「そうでしょうか。でも、もう結婚してしまいましたの。」
「じゃあいいじゃないか。」
「山路が先生にお逢《あ》いしたいと言っておりますのよ。」
「一緒に来たんですか。」
「万藤の喫茶店におりますの。もしよかったら先生もお茶を召し食《あが》りに、お出《い》でになって下さいません?」
庸三は日和下駄《ひよりげた》を突っかけて門を出たが、祝福の意味で二人を劇場近くにある鳥料理へ案内した。しかし二人の結婚が決裂するのに三月とはかからなかった。庸三はその夏|築地《つきじ》小劇場で二人に出逢った。額に前髪のかぶさった彼女の顔も窶《やつ》れていたし、無造作な浴衣《ゆかた》の着流しでもあったので、すぐには気がつかなかった。しかし廊下で彼に微笑《ほほえ》みかけるようにしている彼女の顔が、何か際《きわ》どく目に立たない嬌羞《きょうしゅう》を帯びていて、どこかで見たことのある人のように思えてならなかった。――やがて三人でお茶を呑《の》むことになったのだったが、葉子のこのごろが、生活と愛に痛めつけられているものだということは、想像できなくはなかった。
ある日庸三が、鎌倉《かまくら》の友人を訪問して来ると、その留守に珍らしく葉子がやって来たことを知った。
「何ですか大変困っているようでしたよ。山路さんとのなかが巧く行かないような口振りでしたよ。ぜひ逢ってお話ししたいと言って……。後でもう一度来るといっていましたから、来たらよく聴《き》いておあげなさいよ。」
加世子は言っていたが、しかしそれきりだった。
庸三はその後一二度田舎から感傷的な彼女の手紙も受け取ったが、忘れるともなしにいつか忘れた時分にひょっこり彼女がやって来た。
葉子は潮風に色もやや赭《あか》くなって、大々《だいだい》しく肥《ふと》っていた。彼女は最近二人の男から結婚の申込みを受けていることを告げて、その人たちの生活や人柄について、詳しく説明した後、そうした相手のどっちか一人を択《えら》んで田舎に落ち着いたものか、もう一度上京して創作生活に入ったものかと彼に判断を求めた。
「あんたのような人は、田舎に落ち着いているに限ると思うな。ふらふら出て来てみたところでどうせいいことはないに決まっているんだから。田舎で結婚なさい
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