覆《かぶ》さって来るあの人たちの雰囲気《ふんいき》はいいとはいえないわ。この間も阿母さんが天麩羅《てんぷら》おごったんだけれど、そういう時だって、私は妹さんの下座よ。タキシイに乗る時だって、やっぱり私が後よ。」
話しているうちに葉子はすぐ涙ぐんて来た。
「しかし結婚は女の墓場だからね。」
庸三は腹ん這《ば》いになって煙草《たばこ》をふかしていたが、彼女の計算の不正確と、清川の認識不足との擦《す》れ違いも分明《わかり》すぎる感じだった。
「瑠美子は。」
「あの人が厄介《やっかい》がるから、ここのところよそへ預けておきますけれど、あれほど愛していたのに同棲《どうせい》してみると、ちっとも可愛《かわい》くないんですとさ。」
「はっきりしてるな。」
「真実《ほんとう》よ。このごろの若い人、みんながっちりしたものよ。先生なぞには想像もされないくらい。」
「そこへ君がめそっこ[#「めそっこ」に傍点]と来てるから。」
「それにあの人、このごろ皿洗いもしてくれないのよ。私も御飯たきしてると、本も読めなくて頭脳《あたま》がぱさぱさしてしまうでしょう。いっそ別れようかと思うけれど、どう、いけない?」
「そうね。君が僕の娘だったら辛抱させるけれど。」
「そう――。」
葉子も頬笑《ほほえ》んだ。
二十八
その一夏もあわただしく過ぎて、やがて涼気《すずけ》の立つころになると、持ち越しの葉子の別れ話も、急に具体化しそうになって来た。庸三は別に策動したわけでもなく、積極的に彼女を牽制《けんせい》しようとしたのでもなかったが、少年詩人も双方を往来し、一旦下宿へ出ることに、いつとはなし話が決まりそうになった。彼女の素振りに何か煮えきらないものがあり、いつも用心深く二道かける彼女の手もあるので、思い切って乗り出す気にもなれなかったが、どうせぼろぼろになりついでに、大詰の一役を買うのもいいと思った。
その晩庸三に差し迫った仕事があったが、にわかの電話なので、原稿紙やペンを折鞄《おりかばん》に入れて行ってみた。
「今夜は忙しいんだ。話はしていられない。」
落ち着かない気持で彼は葉子の顔を見るなり、先月号の婦人雑誌を鞄から取り出した。彼はその雑誌に連載物を書いていた。葉子は珍らしく和服を着ていたが、何ということもなくしばらく差向いでお茶を呑《の》んでいた。葉子の素振りにも落着きがな
前へ
次へ
全218ページ中209ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング