かったが、庸三も今夜書く場面の段取りが、まだはっきり頭脳《あたま》に来ていないので、それに気も苛《いら》ついていたが、彼女の言葉に何か煮えきらないところもあった。
「じゃ出るの止すの。」
「そうじゃないんですの。ただあの男が可哀《かわい》そうなだけよ。」
婉曲《えんきょく》に断わるつもりなのかと思ったが、そうでもなかった。とにかく頭脳《あたま》を乱すのを恐れて今夜は追究しないことにした。一旦気持が揺れ出すと、容易に止まらない癖があるので、そうと決めておくよりほかなかった。
庸三は時間が惜しかったので、早く食事をしようと思って、その前に風呂《ふろ》に入ることにして、急いで風呂場の方へ出て行った。浴場は料亭《りょうてい》としては豪華な方で、ドアで仕切られた、別室の化粧室の趣味も感じがよかった。
雨が強く降り出して来た。庸三は寂しい庭の雨音を耳にしながら、風呂場にしばらくいたが、葉子が来ないのに少し不安を感じはじめた。今しがた部屋にいる時も、ふいに電話がかかって女中の取次ぎで下へおりて行ったが、やがて部屋へ来て坐ったと思うと、間もなく廊下へ出て行き、しばらく帰って来ないので、庸三が胡散《うさん》に思って出てみると、葉子は階段の降り口を偸《ぬす》むようにして、うろうろしているのだった。しかし庸三は別に気にも留めず、後で聞こうと思って、彼女の部屋へ帰って来るのを待って、一足先きに風呂に入ったのだったが、今それがふと心に浮かんだので、急いで着物を着て二階へ上がってみた。
すると部屋の入口が内廊下になっていて、座敷も小さい次の間つきであったが、葉子はどこにもいなかった。内廊下の壁に彼の帽子と外套《がいとう》が、間抜けな表情でぶらさがっているきりだった。
ちょうど女中が来合わせた。
「ちょっとそこまで行って来るとおっしゃって、そとへ出ていらしたばかりですよ。宅の庭下駄《にわげた》を突っかけて、番傘《ばんがさ》をお差しになって。」
「担《かつ》がれたんだ。」
庸三は急いで外套を着た。
「そんなことないでしょうけれど。」女中も笑いながら送り出した。
明日の午後、庸三が史朗をつれて、再びその家《うち》を訪問してみると、マダムも出て来て、葉子が今朝《けさ》傘と下駄を返しに来たが、清川も一緒だったことを告げた後に、葉子はその一夜のことをグロテスクな色に塗り立て、あの時雨《しぐれ
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