仮装人物
徳田秋声

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)庸三《ようぞう》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一度|小樽市《おたるし》へ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「※」は「てへん+毟」、第4水準2−78−12、146−上−18]
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      一

 庸三《ようぞう》はその後、ふとしたことから踊り場なぞへ入ることになって、クリスマスの仮装舞踏会へも幾度か出たが、ある時のダンス・パアティの幹事から否応《いやおう》なしにサンタクロオスの仮面を被《かぶ》せられて当惑しながら、煙草《たばこ》を吸おうとして面《めん》から顎《あご》を少し出して、ふとマッチを摺《す》ると、その火が髯《ひげ》の綿毛に移って、めらめらと燃えあがったことがあった。その時も彼は、これからここに敲《たた》き出そうとする、心の皺《しわ》のなかの埃塗《ほこりまぶ》れの甘い夢や苦い汁《しる》の古滓《ふるかす》について、人知れずそのころの真面目《まじめ》くさい道化姿を想《おも》い出させられて、苦笑せずにはいられなかったくらい、扮飾《ふんしょく》され歪曲《わいきょく》された――あるいはそれが自身の真実の姿だかも知れない、どっちがどっちだかわからない自身を照れくさく思うのであった。自身が実際首を突っ込んで見て来た自分と、その事件について語ろうとするのは、何もそれが楽しい思い出になるからでもなければ、現在の彼の生活環境に差し響きをもっているわけでもないようだから、そっと抽出《ひきだ》しの隅《すみ》っこの方に押しこめておくことが望ましいのであるが、正直なところそれも何か惜しいような気もするのである。ずっと前に一度、ふと舞踏場で、庸三は彼女と逢《あ》って、一回だけトロットを踊ってみた時、「怡《たの》しくない?」と彼女は言うのであったが、何の感じもおこらなかった庸三は、そういって彼を劬《いた》わっている彼女を羨《うらや》ましく思った。彼は癒《い》えきってしまった古創《ふるきず》の痕《あと》に触わられるような、心持ち痛痒《いたがゆ》いような感じで、すっかり巷《ちまた》の女になりきってしまって、悪くぶくぶくしている彼女の体を引っ張っているのが物憂《ものう》
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