問を発する庸三たちの方が、よほど可笑《おか》しいとでも思っているらしかった。葉子のところへ来る電話、葉子の方からかける電話――葉子が何をしているかは実際年の行かないお八重にも解《わか》るはずもなかったが、ほかに何か異性の友達があるくらいのことは解っていた。葉子は事によると、その異性との秘密を、傍《そば》にいるお八重にも打ち明けているのかもしれないのであった。
 庸三は原稿紙やコムパクトや何かの入った袱紗包《ふくさづつ》みをもたせ、春雨のふる街《まち》を黒塗りの高下駄《たかげた》を穿《は》いて、円タクの流している処《ところ》まで、お八重に送らせて行った葉子の断髪にお六|櫛《ぐし》を挿《さ》した仇《あだ》な姿を、まざまざ目に浮かべながら、ちょっと見当もつきかねるのが、牴《もど》かしくも歯痒《はがゆ》くもあったが、この少女をそれ以上苦しめることは無駄であった。葉子がこの侍女を絶対安全な乾分《こぶん》に仕立てあげるのは、何の雑作《ぞうさ》もないことであった。
 子供とK――青年とが、夜更《よふ》けの街へ何か食べに出てから、庸三は半病人のように病床に横たわった。そして軟《やわ》らかいパンヤの蒲団《ふとん》のなかに独り体を埋《うず》めていると、疲れた頭脳も落ち着くのだし、衰えた神経の安めにもなるのであったが、彼にはこの醜陋《しゅうろう》な情痴の世界をこえて、もっと重要な不安があった。そうした場合、もしも創作意慾が旺《さか》んであり、ジャアナリズムの気受けがよかったら、彼の心意もそう沮喪《そそう》しなくても済むはずであった。
 庸三はいつごろまで仰向きになった目の上に「痴人の告白」を持ちこたえていたろうか、するうちに目蓋《まぶた》が重くなって電燈を薄闇《うすぐら》くして睡《ねむ》った。
 すると部屋が白々としたころになって、誰かが彼のベッドの端へ来て坐る膝《ひざ》の重さを感じてほっと目がさめたと思うと、面窶《おもやつ》れのした葉子が上から彼を覗《のぞ》いていることに気がついた。
「御免なさいね。――私昨夜こんなに書いたのよ。」
 葉子はそう言って、原稿紙|挟《ばさ》みから十枚余りの原稿を出して、ぺらぺらと繰っていたが、疲れきった体に、感傷的な哀憐《あいれん》の刺戟《しげき》を感じたものらしく、まだ全く眠りからさめきらない庸三の体を揺り動かした。

 するうちある夜またしても葉子の
前へ 次へ
全218ページ中111ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング