特にも頬《ほお》のあたりの媚《なま》めかしい肉の渦《うず》など、印象は深かったが、彼女の過去と現在、それに二人の年齢の間隔なぞを考えると、直ちに今夜の彼女を受け容《い》れる気にもなれなかった。
多分葉子に逢っての帰りであろう、翌日一色がふらりとやって来た。庸三は少し中っ腹で昨夜の葉子を非難した。
「山路草葉から僕んとこへまで渡り歩こうという女なんだ。あれが止《や》まなくちゃ文学なんかやったって所詮《しょせん》駄目だぜ。」
「そいつあ困るな。実際悪い癖ですよ。いや、僕からよく言っときましょう。」
一色は自分が叱《しか》られでもしたように、あたふたと帰って行った。
それよりも庸三は、寂しい美しさの三須藤子《みすふじこ》を近づけてみたいような気がしていた。三須は庸三のところへ出入りしていた若い文学者の良人《おっと》と死に訣《わか》れてから、世に出るに至らなかった愛人の志を継ぎたさに、長い間庸三に作品を見てもらっていた。男でも女でも、訪問客と庸三との間を、どうにかこうにか繋《つな》いで行くのは、妻の加世子であった。時とすると目障《めざわ》りでもあったが、しかし加世子がいなかったら、神経の疲れがちな庸三は、ぎごちないその態度で、どんなに客を気窮《きづま》らせたか知れなかった。三須の場合も、お愛相《あいそ》をするのは加世子であった。藤子は入口の襖《ふすま》に、いつも吸いついたように坐っていた。このごろ庸三は彼女に少し寛《くつろ》ぎを見せるようになったが、夭折《ようせつ》した彼女の良人三須春洋の幻が、いつも庸三の目にちらついた。その上彼女は同じ肺病同志が結婚したので、痰《たん》が胸にごろごろしていた。片身《かたみ》の子供もすでに大きくなっていた。彼女は加世子の生きていたころも今も、同じ距離を庸三との間に置いていた。
それともう一人まるきり未知の女性ではあったが、モデルとしてあまりにも多様の恋愛事件と生活の変化を持っているところから、裏の弁護士に紹介されて、そのころまだ床の前にあった加世子の位牌《いはい》に線香をあげに来て、三人で彼女の芝の家までドライブして、晩飯を御馳走《ごちそう》になって以来、何か心のどこかに引《ひ》っ繋《かか》りをもつようになった狭山小夜子《さやまさよこ》も、そのままに見失いたくはなかった。彼女は七年間|同棲《どうせい》していた独逸《ドイツ》のある貴族
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