だ。私を瞞《だま》したんだ。」
 咲子は真剣な目をした。
「お父ちやん私を売つたんでせう。」
「別に売つた訳ぢやないわよ。お金がなくちや田舎へ帰れないといふから上げたのよ。」
 彼女は父親がまだ下谷のブリキ屋の二階にゐるやうな気がしてならなかつた。そして来た当座、毎日こゝに逢ひに来る彼を待つてゐるものらしかつたが、圭子の処へ子供を寄越して、父親が悉皆《すつかり》安堵《あんど》してゐることは渡辺の話で圭子には解つてゐた。
 子供が来た翌日、圭子の母親は、末つ子の着古した洋服や、メリンスの綿入れや、途中で買つたメリヤスのズボンにシャツ、下駄などを一トそろひ持ちこんで来て、どくどくに汚れてゐる着物を脱がし、大人の着るやうな胴着や、ばかに厚ぼつたくて大きい腰巻を取つて、着替へをさせたものだが、田舎風のぬけない圭子の母親を少し馬鹿にしたやうな調子で、なか/\手がかゝつたし、着せるものにも余り満足しないやうな風なので、母親は一度で懲《こ》りてしまつた。圭子の妹達は、皆な親が感謝してもいゝやうな子供であつた。
 それゆゑ咲子は人には懐《なつ》きにくい質《たち》の女で、それだけ自分の父親は愛してゐた。
前へ 次へ
全34ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング