て内心厭な気持がしてゐるだけで、突き留める気にもなれなかつた。晴代の無細工な手料理で木山は晩飯を食べたあと、もう袷《あはせ》に袷羽織と云ふ時候であつたが晴代の前では話せない事もあるらしく、その辺の若い人達の夜の遊び場になつてゐる麻雀《マージャン》か玉突きへでも行くものらしく、台所に後始末してゐる晴代にちよつと声をかけて、二人は出て行つてしまつた。
或る時木山が夜おそく帰つて来ると、何か薄い角《かく》いものを、黙つて長火鉢の側にゐる晴代の前におくので、彼女は包装紙によつて、仲屋の半襟《はんえり》か何かだらうと思つた。
「これ何?」
「何だか開けてごらん。奥さんへ贈物だつて」
「へえ、誰から。」
「先きは君を知つてるよ。」
開けてみると刺繍《ししう》の美事な塩瀬《しほぜ》の半襟が二掛畳みこまれてあつたが、晴代も負けない気になつて、其よりも少し上等な物を木山の其の馴染の女に送り返した。
三
母から出してもらつた資本や、仲間の援護で始めた木山のさゝやかな店がぴしやんこになるのに造作《ざうさ》はなかつた。苦しい算段の市の復興全体から言へば、彼の損害なぞは真《ほん》の微々たるものに過ぎなかつたが、それでも木山の負つた傷は大きかつた。好い儲《まう》け口《ぐち》があるからと言つて、飛びこんで来た知り合ひの大工は、外神田の電車通りに、羅紗《らしや》や子供服や釦《ボタン》などの、幾つかの問屋にするのに適当な建築を請負つて、その材料を分の好い条件で、木山に請け負はせる話を持ちこんだのだつた。お茶を持つて店へ出て来た晴代も見てゐる前で、木山は連《しき》りに算盤《そろばん》をぱちぱちやりながら、親方に謀《はか》つてゐたが、総てはオ・ケであつた。木山の納屋《なや》には、米杉《べいすぎ》の角材や板や、内地ものの細かいものが少しあるだけだつたが、方々駈けまはつて漸《やつ》と入用《いりよう》だけのものを取そろへ、今度こそは一《ひ》と儲《まう》けする積りで、トラック三台で搬《はこ》びつけたのだつたが、工事は中途から行き悩みで、木山が気を揉《も》み出した頃には、既に親方も姿を晦《くら》ませてゐた。其の結果、親店とも相談のうへ、彼は店を畳んで、当分仕舞うた家へ逼塞《ひつそく》することになつた。商売には器用な木山だつたので、真木は一時自分の店へ来て働くやうにと勧めてみたが、木山にも若い同士の見えがあつた。今更ら人に追ひ使はれる気にもなれなかつた。しかし結局は親店の仕事を手伝ひ旁々《かた/″\》自分の儲け口を見つけるより外なかつた。しかし怠け癖のついた木山は、こつ/\初めから出直すといふ心構へには容易になれなかつた。夜遊びの癖を矯《た》めるのも困難だつたが、一度崩れたものを盛り返さうなどと云ふことは、考へるだけでも憂欝《いううつ》であつた。働いたものにしろ、甘い母親から貰つて来たものにせよ、少しでも懐ろに金が入ると、彼は浅草辺をふら/\した。何《ど》うせ追つかない世帯だと思ふと、持つて帰る気もしなかつたが、遊び気分は何といつても悪くなかつた。金離れのいい彼は到《いた》るところ気受けが好かつた。近所の麻雀《マージャン》ガールやゲーム取りにもちやほやされたが、家《うち》の人達とも家族的に能《よ》く晴代にお座敷をかけて遊んだ待合の女将《おかみ》や、いつも花の宿になつてゐる芸者屋、そこへ集まる役者、小料理屋の且那、待合のお神たちといつた連中にも、好い坊ちやんにされてゐた。
その頃木山は、一時下火になつてゐた牛込の女が、ちやうど好い旦那を捉《つかま》へたところで、好い意味での紐か好い人《ひと》といつた格で、その辺で遊んでゐた。今日は仲間と一緒に請負ひの入札に行つた筈だと、晴代が思ひこんでゐると、朝方になつて裏口の戸を叩いたり、又は誰々と田舎へ山を見に行くと行つて、二日も三日も何処かにしけ込んでゐたりした。それに市の入札に行つた帰りなどに、極《き》まつて丸菱《まるびし》から買ひものをして来るのも可笑《をか》しかつた。菓子に鑵詰、クリーム、ポマアド、ストッキングにシャツ――包み紙はいつも丸菱であつた。彼は大の甘党で、夜床についてからも、何かしら甘いものを枕頭へ引寄せて、ぽつ/\食べてゐたが、しこたま買ひこんで来る丸ビルの丸菱の甘味は甘いもの嫌ひの晴代には、美味《うま》さうには見えなかつた。
或る時晴代が晩飯の材料を買ひに出て、気なしに台所へ上つて来ると、真木がその日も遊びに来てゐて、話のなかに丸菱といふ言葉が連《しき》りに出るのが耳についた。晴代は前から変に思つてゐたので丸菱が何うしたのだらうと、ぢつと聴き耳を立ててゐたが、それが牛込の女の名だといふことが漸《やつ》とわかつた。
「何だ詰らない。」
晴代は独りで可笑《をか》しがつたが、その女の顔が見てやりたい
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