にや/\してゐた。そして其が晴代の木山との結婚を急いだ又の動機でもあつた。
 その夜も晴代はそつとバアテンから貰つたレモンを十ばかり紙にくるんで土産に持つて帰つた。木山は珍らしく家にゐて、火鉢の傍で茹小豆《ゆであづき》を食べてゐた。小豆の好きな木山は、よく自分で瓦斯《ガス》にかけて煮て食べてゐた。
 晴代はレモンを出して見せながら、
「今日は一日何してゐたの。」
「春から一度も行かないから、ちよつと家へ顔出して来たよ。」
「何か言つてゐた。私のカフヱへ出てること。」
「晴《はあ》ちやんのことだから、何処へおつ投《ぽ》り出しておいても、間違ひはないだらうけれど、余り褒《ほ》めた事でもないつて言つてゐたよ。」
 晴代は三月の二日が、ちやうど木山たちの父親の十三回忌に当ることを想ひ出した。父親は日本橋の木綿問屋だつたが、生きてゐる間は、仕送りもして偶《たま》には遣《や》つて来た。木山も其の父の話をする時は、相撲《すまふ》なぞへ連れて行かれた其の頃が懐かしさうであつた。新婚旅行気分で晴代と一晩熱海で泊つた時も、その噂《うはさ》が出た。
 いつも母の世話になるので、晴代は二十六日の法要の香奠《かうでん》にする積りで、自分の働いた金のうちから、一円二円と除《の》けておいた。それを箱根細工の小函《こばこ》に入れて、木山に気づかれないやうに神棚に上げて置いたものだつたが、もう好い頃だと思つたので、
「三十円になつたら言はうと思つたの。もう其の位になつてゐる筈よ。開けて見ませうか。」
 しかし木山は無表情だつた。晴代は変だと思つて、起ちあがつて函を卸して見たが、中は空虚《からつぽ》になつてゐた。
「いいぢやないか。そのうち利子をつけて入れとくよ。」
 晴代は失望したが、木山も悄《しよ》げてゐた。

     五

 或る日も晴代は静枝に頼まれて、新川筋の番頭らしい二人の客の同伴で、演舞場のレヴィユを見に行つたが、帰りは大雪になつた。いつからか静枝は附けまはされてゐて、レヴィユは見たいが、一人では心配だつた。静枝は大詰の幕がおりない前に、後を晴代に委《まか》せて、体《てい》よく逃げたが、残された晴代は二人を捲《ま》くのに甚《ひど》く骨が折れた。漸《やつ》と電車通りまで逃げ延びたところで、足元を見て吹つかけるタキシイを拾つたが、傘もぐしや/\になり、紫紺の駱駝《らくだ》のコオトもぐつしよ
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