図《さしず》して、可也大きな赤松を一株《ひともと》、或得意先へ持運ぶべく根拵《ねごしら》えをしていた。
お島はおとらを客座敷の方へ案内すると、直《じき》に席をはずして了ったが、実母の吩咐《いいつけ》で父親を呼びに行った。お島はこうして邪慳《じゃけん》な実母の傍へ来ていると、小さい時分から自分を可愛《かわい》がって育ててくれた養母の方に、多くの可懐《なつか》しみのあることが分明《はっきり》感ぜられて来た。養家や長い馴染《なじみ》のその周囲も恋しかった。
「島ちゃん、お前さんそう幾日も幾日もこちらの御厄介になっていても済まないじゃないか。今日は私がつれに来ましたよ」おとらにいきなりそう言って上り込んで来られた時、お島は反抗する張合がぬけたような気がして、何だか涙ぐましくなって来た。
「手前の躾《しつけ》がわりいから、あんな我儘《わがまま》を言うんだ。この先もあることだから放抛《うっちゃ》っておけと、宅ではそう言って怒っているんですけれど、私もかかり子《ご》にしようと思えばこそ、今日まで面倒を見てきたあの子ですからね」
おとらのそう言っている挨拶《あいさつ》を茶の間で茶をいれながら、お島は聞いていたが、お島のことと云うと、誰に向ってもひり出すように言いたい実母も、ただ簡単な応答《うけごたえ》をしているだけであった。
こんな出入に口無調法な父親は、さも困ったような顔をしていたが、旋《やが》て井戸の方へまわって手顔を洗うと、内へ入って来た。お島は母親のいないところで、ついこの一両日前にも、父親が事によったら、母親に秘密で自分に頒《わ》けてもいいと言った地面の坪数や価格などについて、父親に色々聞されたこともあった。その坪は一千|弱《たらず》で、安く見積っても木ぐるみ一万円が一円でも切れると云うことはなかろうと云うのであった。お島は心強いような気がしたが、母親の目の黒いうちは、滅多にその分前《わけまえ》に有附けそうにも思えなかった。
「家の地面は、全部でどのくらいあるの」お島は爾時《そのとき》も父親に訊いてみた。
「そうさな」と、父親は笑っていたが、それが大見《おおけん》一万近いものであることは、お島にも考えられた。中には野菜畠や田地も含まれていた。子供が多いのと、この二三年兄の浪費が多かったのとで、借金の方《かた》へ入っている場所も少くなかった。去年の秋から、家を離れて、田舎へ稼《かせ》ぎにいっている兄の傍には、暫く係合《かかりあ》っていた商売人《くろうと》あがりの女が未だに附絡《つきまと》っていたり、嫂《あによめ》が三つになる子供と一緒に、東京にあるその実家へ引取られていたりした。父親の助けになる男片《おとこきれ》と云っては、十六になるお島の弟が一人家にいるきりであった。
家が段々ばたばたになりかかっていると云うことが、そうして五日も六日も見ているお島の心に感ぜられて来た。母親のやきもきしている様子も、見えすいていた。
十六
お島は父親が内へ入ってからも、暫く裏の植木畑のあたりを逍遥《ぶらつ》いていた。どうせここにいても、母親と毎日々々|啀《いが》みあっていなければならない。啀み合えば合うほど、自分の反抗心と、憎悪の念とが募って行くばかりである。長いあいだ忘れていた自分の子供の時分に受けた母親の仕打が、心に熟《う》み靡《ただ》れてゆくばかりである。一万二万と弟や妹の分前はあっても、自分には一握《ひとつかみ》の土さえないことを思うと頼りなかった。それかと言って、養家へ帰れば、寄って集《たか》って急度《きっと》作と結婚しろと責められるに決っていた。多くの取引先や出入《ではいり》の人達には、もうそれが単なる噂ではなくて、事実となって刻まれている。お島は作の顔を見るのも厭だと思った。あの禿《はげ》あがったような貧相らしい頸《えり》から、いつも耳までかかっている尨犬《むくいぬ》のような髪毛《かみのけ》や赤い目、鈍《のろ》くさい口の利方《ききかた》や、卑しげな奴隷根性などが、一緒に育って来た男であるだけに、一層醜くも蔑視《さげす》ましくも思えた。あんな男と一緒に一生暮せようとは、どうしても考えられなかった。実母がそれを生意気だといって罵《ののし》るのはまだしも、実父にまで、時々それを圧《おし》つけようとする口吻《こうふん》を洩されるのは、堪《た》えられないほど情なかった。
大分たってから皆《みんな》の前へ呼ばれていった時、お島は漸《やっ》と目に入染《にじ》んでいる涙を拭《ふ》いた。
「私《わし》もこの四五日|忙《せわ》しいんで、聞いてみる隙《ひま》もなかったが、全体お前の了簡《りょうけん》はどういうんだな」
お島が太《ふ》てたような顔をして、そこへ坐ったとき、父親が硬《かた》い手に煙管《きせる》を取あげながら訊ねた。お島は曇《うる》んだ目色《めつき》をして、黙っていた。
「今日までの阿母さんの恩を考えたら、お前が作さんを嫌うの何のと、我儘を言えた義理じゃなかろうじゃねえか。ようく物を考えてみろよ」
「私は厭です」お島は顔の筋肉を戦《わなな》かせながら言った。
「他《ほか》の事なら、何でも為《し》て御恩返しをしますけれど、これだけは私厭です」
父親は黙って煙管を啣《くわ》えたまま俛《うつむ》いてしまったが、母親は憎さげにお島の顔を瞶《みつ》めていた。
「島、お前よく考えてごらんよ。衆《みな》さんの前でそんな御挨拶をして、それで済むと思っているのかい。義理としても、そうは言わせておかないよ。真実《ほんと》に惘《あき》れたもんだね」
「どうしてまたそう作太郎を嫌ったものだろうねえ」おとらは前屈《まえこご》みになって、華車《きゃしゃ》な銀煙管に煙草をつめながら一服|喫《ふか》すと、「だからね、それはそれとして、左《と》に右《かく》私と一緒に一度還っておくれ。そんなに厭なものを、私だって無理にとは言いませんよ。出入の人達の口も煩《うるさ》いから、今日はまあ帰りましょう。ねえ。話は後でもできるから」と宥《なだ》めるように言って、そろそろ煙管を仕舞いはじめた。
お島を頷《うなず》かせるまでには、大分手間がとれたが、帰るとなると、お島は自分の関係が分明《はっきり》わかって来たようなこの家を出るのに、何の未練気もなかった。
「どうも済みません。色々御心配をかけました」お島はそう言って挨拶をしながら、おとらについて出た。
そして何時にかわらぬ威勢のいい調子で、気爽《きさく》におとらと話を交えた。
「男前が好くないからったって、そう嫌ったもんでもないんだがね」
おとらは途々《みちみち》お島に話しかけたが、左《と》に右《かく》作の事はこれきり一切口にしないという約束が取極《とりき》められた。
十七
おとらは途《みち》で知合の人に行逢うと、きっとお島が、生家の母親の病気を見舞いにいった体《てい》に吹聴していたが、お島にもその心算《つもり》でいるようにと言含めた。
「作太郎にも余りつんけんしない方がいいよ。あれだってお前、為《す》ることは鈍間《のろま》でも、人間は好いものだよ。それにあの若さで、女買い一つするじゃなし、お前をお嫁にすることとばかり思って、ああやって働いているんだから。あれに働かしておいて、島ちゃんが商売をやるようにすれば、鬼に鉄棒《かなぼう》というものじゃないか。お前は今にきっとそう思うようになりますよ」おとらはそうも言って聞せた。
お島は何だか変だと思ったが、欺《だま》したり何かしたら承知しないと、独《ひとり》で決心していた。
家へ帰ると、気をきかして何処《どこ》かへ用達《ようた》しにやったとみえて、作の姿は何処にも見えなかったが、紙漉場《かみすきば》の方にいた養父は、おとらの声を聞つけると、直に裏口から上って来た。お島はおとらに途々言われたように、「御父さんどうも済みません」と、虫を殺してそれだけ言ってお叩頭《じぎ》をしたきりであったが、おとらが、さも自分が後悔してでもいるかのような取做方《とりなしかた》をするのを聞くと、急に厭気がさして、かっと目が晦《くら》むようであった。お島はこの家が遽《にわか》に居心がわるくなって来たように思えた。取返しのつかぬ破滅《はめ》に陥《お》ちて来たようにも考えられた。
「あの時王子の御父《おとっ》さんは、家へ帰って来るとお島は隅田川《すみだがわ》へ流してしまったと云って御母《おっか》さんに話したと云うことは、お前も忘れちゃいない筈《はず》だ」養父はねちねちした調子で、そんな事まで言出した。
お島はつんと顔を外向《そむ》けたが、涙がほろほろと頬へ流れた。
「旧《もと》を忘れるくらいな人間なら、駄目のこった」
お島がいらいらして、そこを立かけようとすると、養父はまた言足した。
「それで王子の方では、皆さんどんな考だったか。よもやお前に理《り》があるとは言うまいよ」
お島は俛《うつむ》いたまま黙っていたが、気がじりじりして来て、じっとしていられなかった。
おとらが汐《しお》を見て、用事を吩咐《いいつ》けて、そこを起《たた》してくれたので、お島は漸《やっ》と父親の傍から離れることが出来た。そして八畳の納戸《なんど》で着物を畳みつけたり、散かったそこいらを取片着けて、埃《ごみ》を掃出しているうちに、自分がひどく脅《おどか》されていたような気がして来た。
夕方裏の畑へ出て、明朝《あした》のお汁《つゆ》の実にする菜葉《なっぱ》をつみこんで入って来ると、今し方帰ったばかりの作が、台所の次の間で、晩飯の膳に向おうとしていた。作は少し慍《おこ》ったような風で、お島の姿を見ても、声をかけようともしなかったが、大分たってから明朝《あした》の仕かけをしているお島の側へ、汚れた茶碗や小皿を持出して来た時には、矢張《やっぱり》いつものとおり、にやにやしていた。
「汚《きたな》い、其地《そっち》へやっとおき」お島はそんな物に手も触れなかった。
十八
お島が作との婚礼の盃がすむか済まぬに、二度目にそこを飛出したのは、その年の秋の末であった。
残暑の頃から悩んでいた病気の予後を上州の方の温泉場で養生していた養父が、急にその事が気にかかり出したといって、予定よりもずっと早く、持っていった金も半分|弱《たらず》も剰《あま》して、帰って来てから、この春の時に用意したお島の婚礼着の紋附や帯がまた箪笥《たんす》から取出されたり、足りない物が買足されたりした。
お島はこの夏は、いつもの養蚕時が来ても、毎年々々仕馴れた仕事が、不思議に興味がなかった。そして病床に寝ている養父が、時々じれじれするほど、総《すべ》てのことに以前のような注意と熱心とを欠いて来た。家におって、薬や食物《たべもの》の世話をしたり、汚れものを洗濯したりするよりも、市中や田舎の方の仕切先を廻って、うかうか時間を消すことが、多かった。七つのおりからの、色々の思出を辿《たど》ってみると、養父や養母に媚《こ》びるために、物の一時間もじっとしている時がないほど、粗雑《がさつ》ではあったが、きりきり働いて来たことが、今になってみると、自分に取って身にも皮にもなっていないような気がした。或時は、着物の出来るのが嬉しかったり、或時は財産を譲渡されると云う、遠い先のことに朧げな矜《ほこり》を感じていた。そして妹達に比べて、自分の方が、一層慈愛深い人の手に育てられている一人娘の幸福を悦《よろこ》んでいた。
「お島さんお島さん」と云って、周囲の人が、挙《こぞ》って自分を崇《あが》めているようにも見えた。馬糧|用達《ようたし》の西田の爺《じじ》いから、不断ここの世話になっている、小作人に至るまで、お島では随分助かっている連中も、お島が一切を取仕切る時の来るのを待設けているらしくも思われた。
「くよくよしないことさ。今にみんな好くしてあげようよ。ここの身代一つ潰《つぶ》そうと思えば、何でもありゃしない」
お島は借金の言訳に、ぺこぺこしている男を見ると、そういって大束《おおたば》を極込《きめこ》んだ。
病気の間もそうであっ
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