て、鳥打をかぶって出て行く姿をちょいちょい見かけた。途中で逢うおりなどには、双方でお辞儀ぐらいはしたが、お島自身は彼について深く考えて見たこともなかった。そして青柳とおとらとの間に、その話の出るとき毎時《いつも》避けるようにしていた。
ある時そんな事については、から薄ぼんやりなお花の手を通して、綺麗《きれい》な横封に入った手紙を受取ったが、洋紙にペンで書いた細《こまか》い文字が、何を書いてあるのかお花にはよくも解らなかったが、双方の家庭に対する不満らしいことの意味が、お島にもぼんやり頭脳《あたま》に入った。お島のそんな家庭に縛られている不幸に同情しているような心持も、微《かすか》に受取れたが、お島は何だか厭味《いやみ》なような、擽《くすぐ》ったいような気がして、後で揉《もみ》くしゃにして棄《すて》てしまった。その事を、多少は誇りたい心で、おとらに話すと、おとらも笑っていた。
「あれも妙な男さ。養子なんかに行くのは厭だといって置きながら、そんな物をくれるなんて、厭だね」
お島は養父母が、すっかり作に取決めていることを感づいてから、仕事も手につかないほど不快を感じて来た。おとらは不機嫌なお島の顔を見ると、お島が七つのとき初めて、人につれられて貰われて来た時の惨《みじめ》なさまを掘返して聞せた。
「あの時お前のお父《とっ》さんは、お前の遣場《やりば》に困って、阿母《おっか》さんへの面《つら》あてに川へでも棄ててしまおうかと思ったくらいだったと云う話だよ。あの阿母さんの手にかかっていたら、お前は産れもつかぬ不具《かたわ》になっていたかも知れないよ」おとらはそう言って、生みの親の無情なことを語り聞かせた。
十二
近所でも知らないような、作とお島との婚礼談《こんれいばなし》が、遠方の取引先などで、意《おも》いがけなくお島の耳へ入ったりしてから、お島は一層|分明《はっきり》自分の惨《みじめ》な今の身のうえを見せつけられるような気がして、腹立しかった。そしてその事を吹聴してあるくらしい、作の顔が一層間ぬけてみえ、厭らしく思えた。
「まだ帰らねえかい」そう言って、小さい時分から学校へ迎えに来た作は、昔も今も同じような顔をしていた。
「外に待っておいで」お島はよく叱《しか》りつけるように言って、入り口の外に待たしておいたものだが、今でも矢張《やっぱり》、下駄に手をふれられても身ぶるいがするほど厭であった。
婚礼|談《ばなし》が出るようになってから、作は懲りずまに善くお島の傍へ寄って来た。余所行《よそゆき》の化粧をしているとき、彼は横へ来てにこにこしながら、横顔を眺めていた。
「あっちへ行っておいで」お島はのしかかるような疳癪声《かんしゃくごえ》を出して逐退《おいしりぞ》けた。
「そんなに嫌わんでも可《い》いよ」作はのそのそ出ていった。
作の来るのを防ぐために、お島は夜自分の部屋の襖《ふすま》に心張棒《しんばりぼう》を突支《つっか》えておいたりしなければならなかった。
「厭だ厭だ、私死んでも作なんどと一緒になるのは厭です」お島は作のいる前ですら、始終母親にそう言って、剛情を張通して来た。
「作さんが到頭お島さんのお婿さんに決ったそうじゃないか」
お島は仕切を取りに行く先々で、揶揄《からか》い面《づら》で訊《き》かれた。足まめで、口のてきぱきしたお島は、十五六のおりから、そうした得意先まわりをさせられていた。お島のきびきびした調子と、蓮葉《はすは》な取引とが、到るところで評判がよかった。物馴《ものな》れてくるに従って、お島の顔は一層広くなって行った。
それが小心な養父には、気に入らなかった。時々お島は養父から小言を言われた。
「可《い》いじゃありませんか阿父《おとっ》さん、家の身上《しんしょう》をへらすような気遣《きづかい》はありませんよ」お島は煩《うる》さそうに言った。
「阿父さんのように吝々《けちけち》していたんじゃ、手広い商売は出来やしませんよ」
ぱっぱっとするお島の遣口《やりくち》に、不安を懐《いだ》きながらも、気無性《きぶしょう》な養父は、お島の働きぶりを調法がらずにはいられなかった。
「嘘ですよ」
お島は作と自分との結婚を否認した。
「それでも作さんがそう言っていましたぜ」取引先の或人は、そう言って面白そうにお島の顔を瞶《みつ》めた。
「あの莫迦の言うことが、信用できるもんですか」お島は鼻で笑っていた。
王子の方にある生家へ逃げて帰るまでに、お島の周囲には、その噂が到るところに拡がっていた。
「それじゃお前は、どんな男が望みなのだえ」おとらは終《しまい》にお島に訊ねた。
「そうですね」お島はいつもの調子で答えた。
「私はあんな愚図々々した人は大嫌いです。些《ちっ》とは何か大きい仕事でもしそうな人が好きですの。そして、もっと綺麗に暮していけるような人でなければ、一生紙をすいたり、金の利息の勘定してるのはつくづく厭だと思いますわ」
十三
盆か正月でなければ、滅多に泊ったことのない生みの親達の家へ来て二三日たつと、直《じき》に養母が迎いに来た。
お島が盆暮に生家を訪ねる時には、砂糖袋か鮭《さけ》を提《たずさ》えて作が急度《きっと》お伴《とも》をするのであったが、この二三年商売の方を助《す》けなどするために、時には金の仕舞ってある押入や用箪笥《ようだんす》の鍵《かぎ》を委《まか》されるようになってからは、不断は仲のわるい姉や、母親の感化から、これも動《と》もすると自分に一種の軽侮《けいぶ》を持っている妹に、半衿《はんえり》や下駄や、色々の物を買って行って、お辞儀されるのを矜《ほこ》りとした。姉や妹に限らず、養家へ出入《ではいり》する人にも、お島はぱっぱと金や品物をくれてやるのが、気持が好かった。貧しい作男の哀願に、堅く財布の口を締めている養父も、傍へお島に来られて喙《くち》を容《い》れられると、因業《いんごう》を言張ってばかりもいられなかった。遊女屋から馬をひいて来る職工などに、お島は自分の考えで時々金を出してくれた。それらの人は、途《みち》でお島に逢うと、心から叮嚀《ていねい》にお辞儀をした。
大方の屋敷まわりを兄に委せかけてあった実家の父親は、兄が遊蕩《ゆうとう》を始めてから、また自分で稼業《かぎょう》に出ることにしていたので、お島はそうして帰って来ていても滅多に父親と顔を合さなかった。毎日々々|箸《はし》の上下《あげおろ》しに出る母親の毒々しい当こすりが、お島の頭脳《あたま》をくさくささせた。
「そう毎日々々働いてくれても、お前のものと云っては何《なん》にもありゃしないよ」
母親は、外へ出て広い庭の草を取ったり、父親が古くから持っていて手放すのを惜んでいる植木に水をくれたりして、まめに働いているお島の姿をみると、家のなかから言聞かせた。広い門のうちから、垣根に囲われた山がかりの庭には、松や梅の古木の植わった大きな鉢《はち》が、幾個《いくつ》となく置駢《おきなら》べられてあった。庭の外には、幾十株松を育《そだて》てある土地があったり、雑多の庭木を植つけてある場所があったりした。この界隈《かいわい》に散ばっているそれ等の地面が、近頃兄弟達の財産として、それぞれ分割されたと云うことはお島も聞いていた。
いつか父親が、自分の隠居所にするつもりで、安く手に入れた材木を使って建てさせた屋敷も、それ等の土地の一つのうちにあった。
「ええ。些《ちっ》とばかりの地面や木なんぞ貰《もら》ったって、何になるもんですか。水島の物にだって目をくれてやしませんよ」お島は跣足《はだし》で、井戸から如露《じょろ》に水を汲込みながら言った。
「好い気前だ。その根性骨だから人様に憎がられるのだよ」
「憎むのは阿母さんばかりです。私はこれまで人に憎がられた覚《おぼえ》なんかありゃしませんよ」
「そうかい、そう思っていれば間違はない。他人のなかに揉まれて、些《ちっ》とは直ったかと思っていれば、段々|不可《いけな》くなるばかりだ」
「余計なお世話です。自分が育てもしない癖に」お島は如露を提げて、さっさと奥の方へ入って行った。
十四
お島はもう大概水をくれて了ったのであったが、家へ入ってからの母親との紛紜《いさくさ》が気煩《きうるさ》さに、矢張《やっぱり》大きな如露をさげて、其方《そっち》こっち植木の根にそそいだり、可也《かなり》の距離から来る煤煙に汚れた常磐木《ときわぎ》の枝葉を払いなどしていたが、目が時々|入染《にじ》んで来る涙に曇った。
「お島さん、どうも済んませんね」などと、仕事から帰って来た若いものが声をかけたりした。
「私はじっとしていられない性分だからね」とお島はくっきりと白い頬《ほお》のあたりへ垂れかかって来る髪を掻《かき》あげながら、繁《しげ》みの間から晴やかな笑声を洩していたが、預けられてあった里から帰って来て、今の養家へもらわれて行くまでの短い月日のあいだに、母親から受けた折檻《せっかん》の苦しみが、憶起《おもいおこ》された。四つか五つの時分に、焼火箸《やけひばし》を捺《おし》つけられた痕《あと》は、今でも丸々した手の甲の肉のうえに痣《あざ》のように残っている。父親に告口をしたのが憎らしいと云って、口を抓《つ》ねられたり、妹を窘《いじ》めたといっては、二三尺も積っている脊戸《せど》の雪のなかへ小突出《こづきだ》されて、息の窒《つま》るほどぎゅうぎゅう圧しつけられた。兄弟達に食物を頒《わ》けるとき、お島だけは傍に突立ったまま、物欲しそうに、黙ってみている様子が太々《ふてぶて》しいといって、何もくれなかったりした。土掻《つちかき》や、木鋏《きばさみ》や、鋤鍬《すきくわ》の仕舞われてある物置にお島はいつまでも、めそめそ泣いていて、日の暮にそのまま錠をおろされて、地鞴《じだんだ》ふんで泣立てたことも一度や二度ではなかったようである。
父親は、その度《たんび》に母親をなだめて、お島を赦《ゆる》してくれた。
「多勢子供も有《も》ってみたが、こんな意地張《いじっぱり》は一人もありゃしない」母親はお島を捻《ひね》りもつぶしたいような調子で父親と争った。
お島は我子ばかりを劬《いた》わって、人の子を取って喰《く》ったという鬼子母神《きしぼじん》が、自分の母親のような人であったろうと思った。母親はお島一人を除いては、どの子供にも同じような愛執を持っていた。
日が暮れる頃に、お島は物置の始末をして、漸《やっ》と夕飯に入って来たが、父親は難《むずか》しい顔をして、いつか長火鉢の傍で膳《ぜん》に向って、お仕着せの晩酌をはじめているところであった。外はもう夜の色が這拡《はいひろ》がって、近所の牧場では牛の声などがしていた。往来の方で探偵ごっこをしていた子供達も、姿をかくして、空には柔かい星の影が春めいてみえた。
「まあ一月でも二月でも家においてやるがいい。奉公に出したって、もう一人前の女だ」父親はそんなことを言って、何かぶつくさ言っている母親を和《なだ》めているらしかったが、お島は台所で、それを聞くともなしに、耳を立てながら、自分の食器などを取出していた。
「今に見ろ、目の飛出るようなことをしてやるから」お島はむらむらした母への反抗心を抑えながら、平気らしい顔をしてそこへ出て行った。切《せ》めて自分を養家へ口入した、西田と云う爺《じい》さんの行《や》っているような仕事に活動してみたいとも思った。その爺さんは、近頃陸軍へ馬糧などを納めて、めきめき家を大きくしていた。実直に働いて来た若いものにくれてやった姉などを、さも幸福らしく言たてる母親を、お島は苦々しく思っていたが、それにつけても、一生作などと婚礼するためには、養家の閾《しきい》は跨《また》ぐまいと考えていた。食事をしている間《ま》も、昂奮《こうふん》した頭脳《あたま》が、時々ぐらぐらするようであった。
十五
或日の午後におとらが迎いに来たとき、父親も丁度家に居合せて、ここから二三町先にある持地《もちじ》で、三四人の若い者を指
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