ほど美しく肉づき伸びて行くのが物希《ものめずら》しくふと彼の目に映った。たっぷりしたその髪を島田に結って、なまめかしい八つ口から、むっちりした肱《ひじ》を見せながら、襷《たすき》がけで働いているお島の姿が、長いあいだ彼の心を苦しめて来た、彼女に対する淡い嫉妬《しっと》をさえ、吸取るように拭《ぬぐ》ってしまった。それまで彼は歴々《れっき》とした生みの親のある、家の後取娘として、何かにつけておとらから衒《ひけ》らかす様に、隔てをおかれるお島を、詛《のろ》わしくも思っていた。

     五

 お島が作を一層嫌って、侮蔑《ぶべつ》するようになったのもその頃からであった。
 蒸暑い夏の或真夜中に、お島はそこらを開放《あけはな》して、蚊帳《かや》のなかで寝苦しい体を持余《もてあま》していたことがあった。酸《す》っぱいような蚊の唸声《うなりごえ》が夢現《ゆめうつつ》のような彼女のいらいらしい心を責苛《せめさいな》むように耳についた。その時ふとお島の目を脅《おびや》かしたのは、蚊帳のそとから覗《のぞ》いている作の蒼白い顔であった。
「莫迦《ばか》、阿母《おっか》さんに言告《いいつ》けてやるぞ」
 お島は高い調子に叫んだ。それで作はのそのそと出ていったが、それまで何の気もなしに見ていたそれと同じような作の挙動が、その時お島の心に一々意味をもって来た。お島は劇しい侮蔑を感じた。或時は野良仕事をしている時につけ廻されたり、或時は湯殿にいる自分の体に見入っている彼の姿を見つけたりした。
 お島はそれ以来、作の顔を見るのも胸が悪かった。そして養父から、善く働く作を自分の婿に択《えら》ぼうとしているらしい意嚮《いこう》を洩《もら》されたときに、彼女は体が竦《すく》むほど厭《いや》な気持がした。しかし養父のその考えが、段々|分明《はっきり》して来たとき、お島の心は、自《おのずか》ら生みの親の家の方へ嚮《む》いていった。
「何しろ作は己《おれ》の血筋のものだから、同じ継《つが》せるなら、あれに後を取らせた方が道だ」
 養父は時おり妻のおとらと、その事を相談しているらしかったが、お島はふとそれを立聞したりなどすると、堪えがたい圧迫を感じた。我儘《わがまま》な反抗心が心に湧返《わきかえ》って来た。
 作の自分を見る目が、段々親しみを加えて来た。彼は出来るだけ打釈《うちと》けた態度で、お島に近づこうとした。畑で桑など摘《つ》んでいると、彼はどんな遠いところで、忙《せわ》しい用事に働いている時でも、彼女を見廻ることを忘れなかった。彼はその頃から、働くことが面白そうであった。叔父夫婦にも従順であった。お島は一層それが不快であった。
 おとらが内々《ないない》お島の婿にしようと企てているらしい或若い男の兄が、その頃おとらのところへ入浸《いりびた》っていた。青柳と云うその男は、その町の開業医として可也《かなり》に顔が売れていたが、或私立学校を卒業したというその弟をも、お島はちょいちょい見かけて知っていた。
 気爽《きさく》で酒のお酌などの巧いおとらは、夫の留守などに訪ねてくる青柳を、よく奥へ通して銚子《ちょうし》のお燗《かん》をしたりしているのを、お島は時々見かけた。一日かかって四十|把《ぱ》の楮《かぞ》を漉《す》くのは、普通|一人前《いちにんまえ》の極度の仕事であったが、おとらは働くとなると、それを八十把も漉くほどの働きものであった。そして人のいい夫を其方退《そっちの》けにして、傭い人を見張ったり、金の貸出方《かしだしかた》や取立方《とりたてかた》に抜目のない頭脳《あたま》を働かしていたが、青柳の顔が見えると、どんな時でも彼女の様子がそわそわしずにはいなかった。
 お島の目にも、愛相《あいそ》のいい青柳の人柄は好ましく思えた。彼は青柳から始終お島坊お島坊と呼びなずけられて来た。最近青柳がいつか養父から借りて、新座敷の造営に費《つか》った金高は、少い額ではなかった。

     六

 お島は作との縁談の、まだ持あがらぬずっと前から、よく養母のおとらに連れられて青柳と一緒に、大師さまやお稲荷《いなり》さまへ出かけたものであった。天性《うまれつき》目性の好くないお島は、いつの頃からこの医者に時々かかっていたか、分明《はっきり》覚えてもいないが、そこにいたお花と云う青柳の姪《めい》にあたる娘とも、遊び友達であった。
 おとらは時には、青柳の家で、お島と対《つい》の着物をお花に拵《こしら》えるために、そこへ反物屋を呼んで、柄《がら》の品評《しなさだめ》をしたりしたが、仕立あがった着物を着せられた二人の娘は、近所の人の目には、双児《ふたご》としかみえなかった。おとらは青柳と大師まいりなどするおりには、初めはお島だけしか連れていかなかったものだが、偶《たま》にはお花をも誘い出し
前へ 次へ
全72ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング