しょうが……」
老教授は、無知な百姓が、神棚《かみだな》に向って物を祈願する時のような口ぶりでこうたずねた。
「いや、決して取り消されんのみか、何度繰り返してたずねても御子息の答えは判でおしたように同じなのです。信じるも信ぜぬもない、御子息の陳述が事実であることは、疑いの余地がないのです。」
篠崎予審判事の口元にただようている微笑は、慈愛に満ちた慰藉《いしゃ》の微笑ともとれれば、毒意に充ちた残忍な冷笑ともとれる。老教授は、冷たくなった紅茶をぐっと呑みほした。それが幾分でも興奮した心を落ちつけてくれるたし[#「たし」に傍点]にでもなるかのように。
「では、あなた方は、狂人の言葉をそのままお取りたてになるのですね。事実の証拠よりもとりとめもない狂人の言葉の方を重んじなさるのですね。わたしは正義のために忠告します。裁判所がありもしない証拠を捏造《ねつぞう》するようなことは、まあおひかえになった方がよいでしょう。」
「これはしたり、御子息は今も申し上げたように、全く精神に異状などは認められません。それに、裁判所は決して証拠の捏造などはしません。物的証拠と被告の陳述とを照らしあわせて、この二
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