}ンチスムの文学は感情の文学であるとさへ[#「さへ」は底本では「さいへ」]いはれてゐる。しかしながら、感情を――それが悲しみの感情であらうとも――心ゆくまで、思ふまゝにうたふことは、古典文学の形式主義に対する反逆であり闘争であるといつて少しも差支へないのである。近松巣林子の世話物は、殆んど情死を主材としてをるに拘はらず、それは正に当時の町人的世界観の勝利をあらはしてゐると見てよいのである。義理と人情との葛藤といふ言葉は、社会学的に言ひあらはせば、旧支配階級のイデオロギイと新興階級のそれとの闘争といふことになる。義理といふのは形式化し硬化した旧世界観の遺骸に外ならず、それが人情と葛藤を生じて来るといふことは、とりも直さず、旧世界観が人心を去つたことを意味するのである。フランス革命が政治に於ける自由のための戦ひであつたやうに、ロマンチスムの文学運動――特にフランスに於けるロマンチスムの文学運動は何よりも先づ文学に於ける自由の戦ひであつた。ユゴオの『クロムウエル』の序文は、この文学革命の烽火であり、宣戦の布告であつた。彼によりて、悲劇はドラマに代られ、性格は血あり肉ある人間に代られた。ボワロ
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