たたぬ間の出来事であった。
 それから何分間たったか、それとも何時間たったかわからない。彼が意識を恢復した時に外套《がいとう》の上に積っていた雪の厚さから察すると、少なくも一時間以上もたっていたであろう。彼は無言のままふらふらと起き上った。あたりは何事もなかったように静まり返っている。彼はずきずき痛む頭へ手をあてて見た。別に血の出ている様子もない。彼は身体をゆすぶって外套の雪を払い落した。帽子を拾いあげて羅紗《らしゃ》にくっついている雪を落してかぶった。今までポケットへ手をつっこんでいたので気がつかなかったが、手袋が片っぽしかない。あたりの雪を足でかきまぜてさがして見たがどうしても見あたらぬ。どっかで落したものらしい。彼は、この馬鹿げた事件をひとりで苦笑《にがわらい》するより他はなかった。交番へ訴える必要はないと彼は判断した。第一これを人間が故意に彼に加えた行為であると断定する根拠は何もない。暴行者の顔を見たわけでもなければ声を聞いたわけでもない。まるで降って湧いたように頭をどやしつけられたというに過ぎないのだ。ことによると上から、瓦《かわら》か或は枯枝か何かが、偶然彼の頭上へ落ちて来
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