でかたく縛られていた。
 彼は命令された通り、だまってついてゆくよりほかはなかった。自分の意志を全く失ってしまって、他人の命令に絶対服従する気持には一種の快感が伴うものだ。今村が、恐れとか怒りとかいう感じをその時さらに感じなかったのは極めて自然であると私は思う。貪慾な所有者は家宝の花瓶に少しくらい疵《きず》のついた時には、くやしくて、残念で、二晩や三晩は眠れないかも知れない。けれども、此の花瓶が、超人の手によって、百尺の高さから、花崗岩《かこうがん》の庭石の上へ投げつけられ、物の見事に文字通り、粉微塵《こなみじん》に破壊されたらどうだろう。どんなに貪慾な人間でも、その時は、一時、残念とかくやしいとかいう生やさしい心境を超脱してしまうに相違ない。
 彼は、さも愉快そうにげらげらと笑い出すかも知れない。無限の両端は一致するという真理には例外はないのだ。
 この刹那の今村の心理状態を学者が分析するなら、命よりも大切にしていた家宝の花瓶を、一思いに粉砕された刹那の所有者の心理状態との間に、少なからぬ共通点を見出したことであろう。
 彼は、刑事がするがままに、外套と上着と短衣《チョッキ》と洋袴《
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