を示すために、さま/″\な現象を起して見る。そしてこの現象を吟味するのである。それはもう写真ではなくて、そこには吾々の創意が加はつてゐる。吾々は小説に実験的方法を適用することによりて、自然の外に出ることなくして、自然を変更するのである。
私たちが、或る事実を観察すると、そこに一つの意想《イデー》が生れて来る。そして、この意想が真であるか否かを疑問とするやうになる。クロオド・ベルナアルによれば、懐疑者こそ真の科学者なのである。何となれば、懐疑者は、自分自身について、自分の解釈については疑ひをもつけれども、一つの絶対的原理、即ち、現象の決定性《デテルミニスム》をかたく信じてゐる。これを信じないでは、疑問も起りはしないのである。而して、この意想、及びそれに対する懐疑、並びにそれをたしかめるための実験のしかた等は、全く個人的なものであり、そこには芸術家の創意の余地が十分に存するのである。芸術家は決して写真師ではないのである。
三
クロオド・ベルナアルが、生命現象の研究に実験的方法を適用する必要を主張すると、これに反対の生気論者《ヴイタリスト》は、クロオド・ベルナアルの
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