説が人間について研究した結果は、物理学、化学等のやうな精確さをもつてはゐない。生理学ほどの精確さをすらもつてゐない。しかし、こゝでは研究の結果を論ずるのではなくて研究の方法を論じてゐるのである。実験小説が、他の先進科学に比して幼稚であるのは、それが生れてから間もないために過ぎない。即ち実験小説家が人間を研究する方法に欠陥があるからでなくて、研究の日が浅いからに他ならぬ。クロオド・ベルナアルが「実験科学者は自然の予審判事である」と言つたに対し、ゾラは「吾々小説家は人間の予審判事である」と言つてゐる。両者の研究方法は全く同じなのである。
この方法に対して次の如く批難するものがある。「自然主義の小説家は専ら人間の写真を撮影しようとしてゐるのだ! 然るにこの写真は到底精密なものではあり得ない。芸術作品をつくるためには、どうしても事実を整理する必要がある!』
ところが、ゾラによれば、実験的方法を小説に導入することによつて、かやうな他愛もない批難は根拠を失つてしまうのである。実験小説家は成るほどありのまゝの事実から出発する。けれどもたゞ事実を観察するだけではなくて、その事実の機構《メカニズム》
前へ
次へ
全18ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平林 初之輔 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング