し抜けに、え。」と幕の端をちょっと引いて吹きつける雨に顔を背《そむ》けながら訊《き》くと、馭者はちょっと振り返って、
「何に探偵でさあ。」
「探偵? 何の探偵だえ。」
「何に、つい二、三日前にね、山の中で林務官を殺して逃げた奴があるでね、其奴《そいつ》が何でも坊様の風《ふう》をして逃げたって事だで、其奴を探すんずらい。」
馭者は度々此様な事に逢うのか、別に気にも留めていないようだ。雨はまた一《ひと》しきり烈しく降る。その降り灑《そそ》ぐ音、峰から流れ落ちて来る水の音、雷鳴はまだ止まない。車中の者は身を縮めて晴れるのを待つばかり。話しすら存分には出来ない。宮越、原野、上田などは雨中に過ぎた。福島の町に入ろうとする手前で雨は晴れた。夕日が遠い山の頂を射て藍青の峰が微《ほのか》に匂う。福島は川を挟み山を負うた心地よい町である。林務官殺しの話は此処にも聞えていた。福島に一泊。
福島から御嶽の頂上まで十里の間、その半ばは王滝川の渓流に沿うて溯《さかのぼ》るのである。この山中の路は登り下りの坂で、松木林、雑木林、あるいは碧湍《へきたん》の岸を伝い、あるいは深淵を瞰下《みおろ》して行く。五人十
前へ
次へ
全36ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
吉江 喬松 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング