登るので、この嶺は木曾川と犀川との分水嶺になっている。
 嶺を越えるとその中腹に藪原の宿がある。あらら木細工、花漬などを売る家が軒を並べている。「木曾の椽うき世の人の土産かな。」うすい木片を剥《は》いで、一度使えば捨ててしまうような木の小皿が出来ている。その一枚一枚に様々な風雅な文句が摺《す》り付てある。
 この藪原の駅からは多く大工が出稼ぎに出る。年中|大方《おおかた》の日は嶺を越えて他へ出ているので、主人のいない家では戸ごと大抵馬を飼うのである。木曾馬といって小形な方で、峻坂の登り降りに最も適している。多くて十四、五頭、少くとも四、五頭は飼わない家はない。その飼養は皆女の仕事で、日中は家から遠く離れた草原へ来て馬を放し、自分らは草を刈っているが、夕方は放した馬を集めて帰って来るのである。十二、三頭並んで崖の上を廻って来る。最先きの馬の背には飼主が乗り、鞍の上で草鞋《わらじ》などを作っていると、親馬の後を追いながら子馬は立ち止って道草を食ったり、また嘶《いなな》いたりしながら走って来る。と親馬もまた立ち止って長く嘶き互に嘶き合って一つ一つ夕靄《ゆうもや》の中に消えて行く。
 藪原の宿
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