した山の姿だ。飽《あ》かず眺め入らずにはいられない。
信濃高原の西方を繞る山脈の奥深く、幾重かさなっている峰々の間から、四時雪の姿を見せている山はこれだ。入日が没した後にうす紫の色に包まれ、遠い微かな思いをさせながら夜雲の底に沈んで行く山もこれだ。中央信濃の少年が幼時から西方を指して、第一にその名を教えられる山はこの山だ。
今見る図はその乗鞍の後姿だ、母親の懐に抱かれて、
[#ここから3字下げ]
坊やのお乳母は何処行った。
あの山越えて里へ行った……
[#ここで字下げ終わり]
と夕暮ごとに唄うのを聞かせられた、その山の後方へ廻って来たのだ、不思議な国へ来たような気がする。
その夜は山中の旅行に餓《う》えていた美味、川魚のフライ、刺身、鯉こく、新鮮な野菜、美しい林檎《りんご》、芳烈な酒、殆んど尽くる所を知らず四人して貪った。
翌日はまた霧雨が降っていたが、予定通り出発した。出る匆々《そうそう》草鞋を泥に踏み込んで、高山の町を出た。
雨は降ったり止んだり、折々日がぱっと照り出すかと思うと、また急に雲が重く重って来たりする。道は少しずつ爪先き上りになって、東北の方角を指し
前へ
次へ
全36ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
吉江 喬松 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング