小声に囁《ささや》く。「さあ、不思議だね。」「林務官室!」誰かが小声で言った。「ああ、そうかも知れないね。」――この家を辞してまた橋を渡って昇降常なき路を辿って行く。樹は次第に大きくなり、同じ栂、樅の類でも上の方に比べると勢好く生長している。谿はあくまで深い、峰もあくまで高く、如何に見上げても果しがない。枯れて倒れて朽ちた樹が同じく縦横に横わっている。はじめの間は日の光が木立の間から洩れて青白く斑に射していたが、雲行が怪しくなったと思うと、林の中が暗くなって山がごうと鳴り出した。ざわざわざわざわと草が揺《ゆら》いで、木という木は枝が打合う。如何にも気味が悪い、と思っていると、そのざわめきの中からぬっと何者かが姿を現わした。見ると二つの大きな人影だ、そして自分らの方へ向ってずんずんやって来る。近寄って見ると、黒い林務官の制服を付けた四十位の男だ。細い径をすれ違おうとするので、
「ちょっと伺います、西洞までは未だ何里ありましょうか。」と丁寧《ていねい》に訊くと、ちょっと立留ったがそのまま棒立ちになって、一行には目もくれず、何処か遠くの方を見入って、聞耳でも立てているという風で、顔の色は蒼黒
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