騨の国だろうか。」と思うと何となく不思議な国へ来たような気がする。確かに飛騨の国に異《ちが》いない。
 偃松帯を出抜けたかと思うと、径は一層急になって熊笹の中に入る。身長よりも高い熊笹をがさがさと分けて下るが、足とまりは一段一段と段を刻《きざ》んである。その中には雨水が溜っていて踏むたびに飛び散る。両手で笹を掻き分けるので、三尺離れるともう先行者の姿はその中に没して見えなくなる。立ち留っているとがさがさと音ばかりしている。はっと明るくなったと思って顔を上げて見ると、熊笹が低くなって日影が満面に照らしている。そして熊笹の所々に頭を顕《あらわ》して黄色い石楠花が咲いている。
 熊笹の中を馳《か》け下ると、栂《つが》樅《もみ》などの林に這入《はい》る。いかに巨《おお》きな樹でも一抱《ひとかか》えぐらいに過ぎないが、幹という幹には苔が蒸して、枝には兎糸《とし》が垂れ下っている。中には白く骨の如くになって立ち枯れしたものもある。あるいは枯れて倒れて草の中に縦横に横《よこた》わっているものもある。その倒れた樹の上を飛び越え踏み越えて下るのだが、その急峻といったら全く垂直線の板上を滑り落ちるようだ。
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