者の語るところでは一種の谿湖らしい。山麓の谿間に自づと水が溜つて、その谿間には巨樹の立つてゐるままで水に浸され、檜や、杉が、水中深く白骨のやうになつて、立枯れしてゐるといふことである。その巨木の立枯れしてゐる中へ、銅《あかがね》の船が一艘沈んでゐる。その船は、謙信の智將|宇佐美貞行《うさみさだゆき》が、謙信の爲めに謀つて、謙信の姉聟|長尾政景《ながをまさかげ》の謀反を未然に防ぐために、二人して湖水に船を浮べ、湖上の樅《もみ》ヶ|崎《さき》といふ所まで出た時に、水夫に命じ船底へ穴を開けさせ、政景の身を擁して、二人とも船と共に水中に沈んでしまつた。その船だといふ。それは事實であらう。その後幾度となくその船を引き上げようと企てた者もあつた。最近一二年前にもこれを企てゝ失敗に終つた者がある。船のあるのは事實だけれど、引き上げることは困難である。水が冷たいのと巨木の間に挾まれてゐるのと、泥の膠着《かうちやく》してゐるのとで上げられない。
 二人の死骸すら遂に上げられずにしまつた。纔《わづか》に彼等が着けてゐた具足の端を水中から切り取つて、近くの寺の境内に埋めて、墓を建てたとの事である。幾百年前か
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