、靜まり、輕い柔しい微笑が脣邊《しんぺん》に漂ふ。霧をくゞつて來る水の忍び寄る柔《やさ》しい響、私はそれを耳にして暫く默つて水面を見つめて立つてゐた。
 岸に近い宿屋から船を一艘仕立てゝ貰つて、湖上を周ることにした。
「こんな處にこんな池があるといふことが、東京までも知れて居るんですかね。」
 そんな事を言ひながら、一人の若者が櫓を押しながら船を進めて行つた。辨天の祠《ほこら》のある島には杉だの松だのが一面に立つてゐて、石の階段が水際から奧深く次第に高く導いてゐた。その奧には辨天の祠が在つて、四抱へ以上もある杉の老木が電火に打たれて立つてゐた。島を繞つて四方に湖水が開けてゐる。周圍四里近いこの湖水は、幾ら高い所に立つても一望に見果てがつかない。山脚の間々を繞つて入り込んでゐるので、或處は廣く、或處は狹く、周圍にも途がついてゐない。湖を極めるには船に頼るより仕方がない。湖上には日の光が縞を織つて、殆んど微動すら見せない。水の面は明るく、暗く、照り渡つてゐる。
 島からまた船に乘つて、誘はれるやうに奧へ奧へと入つて行つた。
 何處の湖水にでもロマンスはある。この湖の成立は知らないけれど、若
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