りも明るい。樹林のこんもり茂つた島の形も見える。小高い途が少しづつ降りはじめて、野尻の村へ入つて行つた。比處にも昔の宿驛の跡が殘つて居た。店家があり、舊い大きな家があり、それが大方皆戸を閉ぢて居る。日は少しづつ光を増して來た。湖面は少しづつその光を照り返して、周圍の緑がきら/\輝き出した。私は急いで家と家との間から、稻田へ出て、その畔の小徑を湖水の岸まで歩いて行つた。
湖に向ふ者の心の靜けさ。自分が何處をどう歩いて來たかも忘れて、突然その岸へ連れて來られたもののやうな氣がする。波の靜けさ、伸びやかさが心を靜めてくれる。波は柔かい手で撫でてくれるやうな氣がする。ぴつしや、ぴつしや、岸へ忍び寄るその音が樂しい囁きとなつて耳から胸へ、胸から體躯全體へ輕く行き亙る。淺い水の中から岸へつゞいて一面に生えてゐる淺緑の蘆の葉が光を反し、人の魂をその中へ吸ひ込む。その中に包まれて立つてゐる者の心は、緑の光となつて四方へ漂うて行く。湖上の霧は低く迷つて、山の間へ奧深く人を誘ふ。
心の引きしめられる心持、固く脣を結んで見張る心持、それは海の與へてくれる命である。湖の岸へ來て立つてゐる時、人の心はなごみ
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