を見おろして居るとき、日の光は音を立てゝ、その谷底へ流れ注ぐかと思はれる。路傍の林の簇葉《むらは》は、その光を漉して、青い光を樹根《きのね》へ投げ、林の奧は見透されないやうに、光と影が入り亂れて、不思議な思ひを起させる。
 谷底の川音が全谿に反響を立てゝ、流れから起る風が、高い兩岸から身を伸ばし、手を延ばしてゐる蔓草や松の木の枝を搖り動かしてゐる。
 山の肌を洗ひ、細い血管を傳つて、頂から麓へ、麓から谿間へ落ち込んで來る幾多の水、樹々の根元や、燒石の間へぷつ/\湧き出した小さな泉が、途を求め、藪をくぐつて、下へ/\と落ちて來た水、谿間の奧深くへ數年となく湛へてゐて、次第々々に周圍の草の根をひたし、立樹を枯らし、やがて、その白骨のやうな立枯れた巨木をも水底へ沈めてしまひ、上へ上へと登つて來て、山の出鼻を包み、岩角を沒し、林といふ林を眼にも附かないくらゐ徐々として下から呑んでしまひ、そして一樣に、何處をも平らかな水の野原としてしまつた湖水の水、その水も一箇所山の間に缺所を求めると、四里にも餘る一圓の水が俄に色めき立ち、騷ぎ立ち、殺氣を帶んで來て、爭つてその一箇所の方へ向つて急ぎ出す。長い間
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