といつたやうな感じが國境を間にして、兩側の村人の胸に明らかに湛へられている。それでも彼等は互に交通してゐる。姻戚の關係を結んでゐる。一つの村の兒童は他の村の、他の國の川へ、峠を越して魚を漁りに行つてゐる。同じ國の村よりも、他國の村に近く住んでゐる彼等は、互に一種の誇りを持ちながら、互に愍《あはれ》み合ひ、助け合つて生活をしてゐる。
 少しの坂路を登りつめると、草の生えた路が、なだらかに越後の國へ向いて降りて行く。路傍には、萩が咲き、葛の廣葉が風にひるがへる間から、紅紫の花が飜《こぼ》れる。落葉松の密林、白樺の疎林、杉が處々に孤立してゐて、下の谿間を見おろしてゐる。谿を隔てゝのテーブル、ランドの上には、黒姫の麓の高原には、黒い岩の散つて落ちてゐるのが、矮林《わいりん》が、藪だたみが、まだ消えやらない山頂の霧の影を寫して、白く光る處、薄暗く隈どる處、人間の住まない寂しい原野の姿を見せてゐる。
 眞夏の晝を一人歩いて行く心持は如何にも明るい。日光を遮る砂塵もない山中の空氣は、眞上なる青い空から注ぎかける光を十分に吸ひ込んで、十分の明るさを見せて輝いてゐる。谿へ下る路が、崖の上へ來て、深い谿底
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