諸山は相呼應して、嚴として高原の奧に空を劃して立つてゐる。
けれど私は、この山ばかりではない。何の山に向つてでもさうであるが、長く曳いてゐるその線上を辿つて頂上まで登つて見たいといふやうな感じはしたことがなかつた。寧ろそれに縋つて見たい、父親の膝に縋りつくやうに縋つて見たい心持が起つた。またある時は、その線上を登るのではなくして下つて見たい、あのなだらかな線上を滑り降りて見たい、何處までも降りられる處まで、走つて行かれる處まで走つて見たいといふ心持がした。私は山をば仰いで見るけれど、それを形づくる線上へ眼を走らせる時は、いつも上から下へ視線を走らせてゐた。それは私一人の經驗かも知れない。下から線を上へ辿るとき、私には一種の苦しさが伴つて來る。山は盛り上がつたのかも知れないが、それを圍む線は少くも上から一條に、また一呼吸に畫《か》き下されたのだといふ感じがいつもされた。
兎に角、この三山の私に與へてくれたものは、常住の姿であつた。不斷の生命の流れであつた。安心して自分の思つてゐることを、考へてゐることを、感じてゐることを、纏めて見ることの出來る感じであつた。この感じが私には何よりも尊
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