姿は、所謂日本アルプスのやうな、連嶺の重苦しさはなく、山に向ふといふ感じを最も明かに與へて呉れる。空中をおろして來る太いなだらかな線は、裾野の中へ走り込んで、この三山の麓では、その線の先きが互に交叉してゐる。私は子供の時分からいつもその線をぢつと見つめてゐると、何ものかが此の線上へ姿を現はして自分を呼んで居るやうな、その中にその者は幾つもの數に殖えて、その線上を下へ駈け降つたり、駈け昇つたりしてゐるやうな氣がした。また或時は、何人かがその肩を越して向うへ消えて行つたやうな、その人は一度越えた背を見せると、いくら呼んでも返辭をしないやうな氣がして、堪らなくなつたことがあつた。
幾度見ても黒姫は、いつも同じやうで、しかも面目を改めて、私の前に嚴しく聳えてゐる。連嶺《れんれい》の亙り續いてゐる頂にばかり目を馳せてゐた私達が、初めて一山の美しき姿を仰ぐことの出來たのもこの山であつた。そして越後の海を初めて見て泣きたいばかりに心の締つた記憶と共に、何年たつても忘られないのはこの山の美しい姿であつた。しかもこの山は富士山のやうに全く轉《まろ》び出たやうに孤立してゐるのではない。妙高、戸隱、飯綱の
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