よう》の苦痛《くつう》のみなのだから、其の人《ひと》に取ツては或《ある》意味に於て寧《むし》ろ幸福《かうふく》であるかも知れない。讀書《どくしよ》は徒《いたづ》らに人の憂患《わづらひ》を増《ま》すのみの歎《なげき》は、一世《いつせい》の碩學《せきがく》にさへあることだから、單《たん》に安樂《あんらく》といふ意味から云ツたら其も可《よ》からうけれど、僕等は迚《とて》も其ぢや滿足出來ないぢやないか。そんな無意|義《ぎ》な生涯なら動物《どうぶつ》でも送《おく》ツてゐる。如何《いか》に何んでも、僕は動物となツてまでも安《やす》さを貪《むさぼ》らうとは思はないからな!」
沈痛《ちんつう》な調子《てうし》で恁《か》う云ツて、友は其の幅《はゞ》のある肩《かた》を聳《そび》やかした。
「あゝ僕等は何うして恁う不幸《ふかう》なんだらう。精神上《せいしんじよう》にも肉躰上《にくたいじよう》にも、毎も激《はげ》しい苦痛ばかりを感じて、少しだツて安らかな時《とき》はありやしない。恁うして淋《さび》しい一生を送ツて行《い》かなきやならないかと思ふと、僕は自分《じぶん》の將來《せうらい》といふものが恐《おそ》ろ
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