優《やさ》しい女性《ぢよせい》の手《て》も知らないで淋《さび》しい臨終《りんじゆう》を遂《と》げるんだ!」
私は默《もく》して只《たゞ》歩《あゆみ》を運んだ。實際《じつさい》何《なん》と云ツて可いやら、些と返答《へんたう》に苦《くる》しんだからである[#「である」は底本では「でかる」]。友の思想と自分の思想とは常《つね》に殆《ほとん》ど同じで、其の一方の感ずることは軈《やが》て又《また》他方《たほう》の等《ひと》しく感ずる處であるが、今《いま》の場合《ばあひ》のみは、私は直《たゞち》に賛同《さんどう》の意を表《ひやう》することが出來なかツた。其の生涯の孤獨といふ考には心《こゝろ》から同情《どうじやう》しながらも、猶《なほ》他に良策《りやうさく》があるやうに思はれてならなかツた。少くとも自分だけは、もう些ツと温《あたたか》な、生涯を送りたいやうな氣がしてならなかツた。
ふと眼《め》を我《わが》歩《あゆ》み行《ゆ》く街路《がいろ》の前方《ぜんぽう》に向《む》けた。五六|間《けん》先《さき》から年頃《としごろ》の娘《むすめ》が歩いて來る。曇日《くもりび》なので蝙蝠《かほもり》は窄《すぼ》
前へ
次へ
全15ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三島 霜川 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング