に依《よ》ツてはこんなことを云ふ者《もの》もある。成程《なるほど》、一日《いちにち》の苦|闘《とう》に疲《つか》れて家《いへ》に歸《かへ》ツて來る、其處《そこ》には笑顏《ゑがほ》で迎《むか》へる妻子《さいし》がある、終日《しうじつ》の辛勞《しんらう》は一杯《いつぱい》の酒《さけ》の爲《ため》に、陶然《たうぜん》として酔《え》ツて、全《すべ》て人生の痛苦《つうく》を忘《わす》れて了ふ。恁ういふことが出來たら、其は嘸《さぞ》樂しいことだらう。併しこんなことが果《はた》して僕等に出來るだらうか、少くとも僕等はそんなことを爲《な》し得《う》る素質《そしつ》を有《いう》してゐるだらうか。何《ど》うして思ひもよらぬことだ。」と少し苛々《いらいら》したやうな調子で、
「あゝ孤獨《こどく》と落魄《らくばく》!之《これ》が僕の運命《うんめい》だ。僕見たいな者《もの》が家庭を組織《そしき》したら何うだらう。妻《つま》には嘆《なげ》きを懸《か》け子《こ》には悲しみを與《あた》へるばかりだ。僕は、病床《びやうしよう》を侍《ぢ》して[#「侍《ぢ》して」は底本では「待《ぢ》して」]看護《かんご》して呉《く》れる、
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