よう》の苦痛《くつう》のみなのだから、其の人《ひと》に取ツては或《ある》意味に於て寧《むし》ろ幸福《かうふく》であるかも知れない。讀書《どくしよ》は徒《いたづ》らに人の憂患《わづらひ》を増《ま》すのみの歎《なげき》は、一世《いつせい》の碩學《せきがく》にさへあることだから、單《たん》に安樂《あんらく》といふ意味から云ツたら其も可《よ》からうけれど、僕等は迚《とて》も其ぢや滿足出來ないぢやないか。そんな無意|義《ぎ》な生涯なら動物《どうぶつ》でも送《おく》ツてゐる。如何《いか》に何んでも、僕は動物となツてまでも安《やす》さを貪《むさぼ》らうとは思はないからな!」
 沈痛《ちんつう》な調子《てうし》で恁《か》う云ツて、友は其の幅《はゞ》のある肩《かた》を聳《そび》やかした。
「あゝ僕等は何うして恁う不幸《ふかう》なんだらう。精神上《せいしんじよう》にも肉躰上《にくたいじよう》にも、毎も激《はげ》しい苦痛ばかりを感じて、少しだツて安らかな時《とき》はありやしない。恁うして淋《さび》しい一生を送ツて行《い》かなきやならないかと思ふと、僕は自分《じぶん》の將來《せうらい》といふものが恐《おそ》ろしいやうな氣がしてならない。」
「眞《ほ》ンとに」と、友は痛く感じたやうな語調《てうし》で、「僕等の將來は暗黒《あんこく》だ。けれども其の埒外《らちぐわい》に逸《ゐつ》することの出來ないのが運命《うんめい》なのだから爲方《しかた》がない、性格悲劇《せいかくひげき》といふ戯曲《ぎきよく》の一種《いつしゆ》があるが、僕等が丁度《てうど》其だ。僕等の此《こ》の性格が亡《ほろ》ぼされない以上、僕等は到底《たうてい》幸福《かうふく》な人となることは出來ない。」
「けれども、」と私は口《くち》を挿《はさ》んで、「けれども其の一種の性格が僕等の特長《とくてう》なんぢやないか。此の性格が失《うしな》われた時は、即《すなわ》ち僕は亡《ほろ》びたのだ。然うしたら社會の人として、或《あるひ》は安楽《あんらく》な生活《せいくわつ》を爲《な》し得《う》るかも知れない。併《しか》し精神|的《てき》には、全《まつた》く死《し》んで了ツたのも同《おな》じことなんだ!」
「然うだ、其だから僕等の生涯は永久《えいきゆう》に暗黒だと云ふのだ!家庭《かてい》は人生《じんせい》の活動《くわつどう》の源《みなもと》である、と、人
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